明日は夜ジャズ!!


さてと。明日はいよいよ夜ジャズ!!の日となりました。もう前日となりましたので予約なしでも入れます。行けるかどうかわからなくて予約出来なかったという方、大丈夫です。みなさんお誘い合わせの上おこしください。このごろイスを増やしまして、それでも足りない場合は、デザイン事務所から持ってくるというチカラワザを使っております(笑)。明日の夜はみんなでジャズにしびれましょう。
 

そして来週からはいよいよ「山下良夫展 テンペラ画の世界」がはじまります。これは見逃せませんぜダンナ(誰がダンナじゃ)。いや、冗談抜きで見逃せない展覧会です。このあいだからこのブログでお知らせしているもんですから、すでに何人もの方がお店に来られて「あれ?山下さんの展覧会まだやってないの?」と言われました。すみません。ブログには11月24日(水)からとそのつどお知らせしております。でもそれほど楽しみにしておられる方がたくさんいらっしゃるということですよね。「山下良夫展 テンペラ画の世界」は11月24日(水)から来年の1月23日(日)までのまるまる2ヶ月間のロングランです。よろしくお願いいたします。
 
話は変わって、このごろちょっとしたマイブームで、こればっかり聴いていますNAOITO。たまたまラジオで聴いて、すぐにiTuneでダウンロードしました。とくにこの曲が好きです↓

そしたらなんと12月3日に長崎のオハナカフェでライブが。行きて〜!行けるわけね〜!くやし〜!
で、その音を聴いてたらこのあいだ佐世保のお寺でライブをやってたCINEMA dub MONKSにおいがしたのでネットで見たら案の定でした(笑)。で、ということはハナレグミとつながってるということで、なるほどとひとり納得してしまいました。


 
またまた話は変わりまして、はやいものでこのあいだKTNギャラリーで個展をしたと思ったら、あれからもう3ヶ月以上が経ってしまいました。いちおうこれまでの自分の作品制作に区切りをつけたカタチなんですが、これから新たな一歩を踏み出そうと考えています、忙しいのに(笑)。新たなとは言っても、それが未来に向けてとか、新しい何かとか、そんなんじゃありません。この歳になると、新しいことにそれほど魅力を感じなくなるんですね。いや、そうじゃなくて、新しいということの意味が違ってくるといいますか、これまでに見たこともないものだとか、他人が見てビックリするものだとか、そんなことはどうでもよくなるんですよ。昭和30年代以降の、いわゆる高度経済成長という時代の色の中で育ってきた今の50歳前後の人たちは、なかなかこの右肩上がりの価値観から抜け出せないでいるというのがつらいところなんです。バブルがはじけてから生まれたような子どもたちにとって、この世は決して右肩上がりなんかじゃないところから始まっているし、いまのおじさんおばさんたちがイメージする「未来」と、いまの若い人がイメージする「未来」とは、まったく違ったものだと思うし、それぞれがおたがいに理解しがたい隔たりもあると思います。それは同時に「大衆」の意味するものも違うでしょう。私よりももう少し上の世代がいわゆる団塊の世代で、その世代の方たちは、かなり自分たちがこの国の繁栄をつくってきたとの自負があるようです。じっさい今の経済社会をつくってきたのはこうした世代の方たちだし、同時に現代社会の閉塞感をつくりだしたのも事実でしょう。それが良い悪いは別の話ですよ。で、今の50代や60代の人たちがつくる現代美術の作品というのは、その多くがこうした時代の閉塞感を表現したものだったり、右肩上がりの世界観を問題意識にしていたりというようなものが多かったんですね。なにしろ作品の背後には何らかの問題意識があったし、もっといえば問題意識があってこその現代美術だった。ところがそれよりも若い世代になってくると、脱問題意識といいますか、アートが成立する地平がくるりと翻ったような観があります。それはそれでいいと思います(笑)。パラダイムシフトとかそんな大袈裟なことじゃなくて、なんというか、おじさんにはちょっと説明がむずかしいその感覚。今の時代を閉塞感のひとことでは済ませない自然でポジティブな感覚が若い人の中で確実に浸透しているんだろうと思います。もちろんそれはまだまだほんの一部なのですけど。今の世の中、問題は山積みです。いや、いつの時代も問題は山積みでした。ただネットが世界中に広まって、そうした問題がかなり表に出るようになったし、あいかわらずマスコミは腰抜けだし、大衆は操作されています。でもそんなバカみたいな世の中にも、とてもピュアに生きていこうとする若い人たちの動きが確かに感じられる。私が先に書いたNAOITOやCINEMA dub MONKSハナレグミのような音楽がそのような気運から生まれてきているんじゃないかと思うのです。彼らの音楽の魅力は、今のおじさんおばさんたちが経験しえなかった感覚といいますか、右肩上がりを前提とした消費経済のなかで生み出されたものとは違った感覚といいますか。そうした感覚を大切にしながら自分の環境を織りなしていっているところに、とても魅力を感じます。そしたらそれがそのうち世界の主流になるのかというと、決してそんなことはないだろうし、世界は大きな経済を中心にまだまだ動かざるをえないでしょう。ただ、世界を変えていく何かをするという発想ではなくて、こうして生まれてきた自分の命を大切にしようという気持ちを共有したいという感覚…う〜ん、うまく言えませんが、何かしらそんなとても素朴な地平から世界を見てみようよというメッセージは、地味だけどしだいに大きくなってくるんじゃないかとも思います。きれいごとも、きたないこともみんな含めて、生きることを楽しめる人生を送れるようになればと思います。