「長崎丸山花月記」


今週の金曜日は津軽三味線の木下恒存(きのした つねあり)ライブです。10月29日(金)午後7:00スタート。ワンドリンク付3000円。まだお席はあります。今日は定休日なので電話がお受け出来ません。予約はメールyon_ef@ybb.ne.jp でも受け付けます。メールは必ず確認のメールを返信しますのでご確認ください。
 

先日、はじめて長崎市立図書館に行って、図書貸出券というものをつくりました。長崎市立図書館はお店から歩いて5分ほどの距離なのに2年前にできてから一度も行ったことがなかったのですが、ついに行ってきました(笑)。で、何を借りたかと言うと「長崎丸山花月記」山口雅生著(昭和43年発行)です。山口雅生さんというのは、長崎の有名な料亭「花月」の最後のご主人です。300年近く続いた花月は昭和初期に人手に渡り、今の経営者の方になっています。そして17代当主であった山口雅生氏が料亭花月についていろんなこと書いてまとめたのが、この本「長崎丸山花月記」です。じつに面白い。そして日本三大遊郭のひとつである長崎丸山を知る貴重な資料でもあります。で、読みはじめてすぐに、こんなくだりがありました。21ページから22ページにかけてを原文そのままに(誤植も含め)紹介します。
_________________________
 
刀痕
 現在の花月の建物は明治初年に建てたものだそうである。私の祖父の話では、小島の養生所の医学生連中が登楼して、酒に酔って刀を抜いて新築したばかりの座敷の床柱をキズつけたので父(山口家十四代山口繁左右)が大そう立腹して、厳重に抗議したが誰が切りつけたのかとうとう下手人は判らなかった。
 この話は私が祖父から直接聞いている真相であるだが、私の母が或る日、平重次さんに話のはずみで坂本龍馬が切ったと言ってしまった。
 今日では誰も疑う者はなくなっている。花月の客呼びの一話題となって、大いに役立っている。
 平重次と私の母の二人のPR勝ちであり新花月へのプレゼントであろう。
 或る人がこの話を聞いて、長崎のグラバー旧邸をお蝶夫人と結びつけた商魂と、龍馬さんの刀傷は長崎における東西両横綱格のナンセンスだと笑った。笑われて儲けるのが漫才のコツとやら、今日長崎も国内観光地として賑わっていると昨年亡くなられた和蘭大使から聞いた。
 昔の唐紅毛人で栄えた時代は終わったのである。
 
_________________________
 
つまり、花月の有名な刀傷は、小島養生所の学生さんたちが酒に酔って剣舞を踊っているときに過って床柱に傷をつけてしまったものだと。そしてこの本の筆者のひいおじいちゃんである14代当主が小島養生所の学生たちに厳重に抗議したことを筆者のおじいちゃんから直接聞いたのだと書いています。小島養生所というのは現在の長崎大学医学部の前身で、小島養生所の前身が有名なポンペの医学伝習所です。長崎は日本における西洋医学発祥の地でもあったわけで、他の資料によると、その小島養生所の吉田健康という人物が長崎医学所の小助教に任命されたお祝いの宴を新築したばかりの花月で開いた。そしてこの吉田健康大先生がこの席で剣舞を舞っているときに、酔った勢いで柱に傷をつけてしまったのだそうです。で、しかもこの刀傷のある建物は明治元年に建てられたことが記録としてはっきり残っているので、明治になる前に京都で殺された坂本龍馬が明治になって建てられた花月の建物の柱に傷をつけられるわけがないのです。そんなことは長崎の人ならたいてい知っていることなので、これまでは「龍馬の刀傷」は単なる笑い話ですんでいたのですが、今年の大河ドラマの龍馬ブームで、旅行会社のホームページや個人のホームページなどでやたらとあの刀傷が龍馬のものだと紹介されるので、それを真に受けて、わざわざ見に来る龍馬ファンもいらっしゃる。だからあれは花月最後のおかっつぁま(女将)の作り話だということをちゃんと公表しないといけないんじゃないかと思うわけです。わたし個人的にはどうだっていいんですが、龍馬のファンにとってはがっかりですからね。「なんだよ本物だと思って来たのに〜」という人がかなりいるみたいです。私の姪のご主人も、わざわざ東京から見に来たそうです。やっぱり真相を伝えたらがっかりしてました。いままでみたいに「龍馬がつけたのかもね」ぐらいならご愛嬌でしょうけど、ここまでブームになってしまっては「じつはウソピョ〜ン」ではすまされなくなったんじゃないかなと。だから当時の花月のご主人本人がこうしてちゃんと本にして残してくれているんだから、それを無視して龍馬龍馬と騒ぐのはいかがなものかと思うわけです(笑)。