平和を愛するエコロジーな民主主義

「きのう、久しぶりに電気屋さんに行ったら50インチのプラズマテレビが60万円程度で売ってあってびっくりしました。もう3管プロジェクターなんて置いてなくて、ビデオ付きテレビとか3万円くらいでどうでもいいみたいにして売ってある。プラズマテレビってもう僕らが子どものころに想像していた未来そのものですよね。鉄腕アトムの世界ですよ。それとコンピュータ売場からCRTディスプレイがほとんど姿を消したこと。いやいや、ニューヨークに出てきたブッシュマン(古いなあ)のように驚きました。50インチのプラズマテレビなんかあまりの鮮明な画像に思わずモニターの裏側を覗いてしまいましたよ(^_^)。科学技術というのはまだまだ進んでいくんだなあと感心してしまいました。昔はこの科学技術が人間を幸せにしてくれるとみんなが本気で思っていたんですね。確かに便利にはなるけど、それが幸せかどうかは別問題だとやっと一般的な認識になった。むしろ科学の成果は恩恵ではなく邪魔者あつかいさえされるようにもなりました。しかし科学には何の責任もないでしょう。それをどう使うのかという人間の問題ですからね。便利な物は便利に使えばいいし、核兵器は科学の問題ではなく思想の問題ですからね。それから「2001年宇宙の旅」のDVDを買いました。キューブリックの作品はみんな1500円で売ってるんですね。いやいやすごい世の中ですよ、まったく。あと30年もしたらみんな仕事なんかたまにしかやってないんじゃないかななんて思いながら、帰りの車のなかで30年前の「ディープ・パープル・イン・ジャパン」のテープを大音響で聴きながら6才の息子とノリノリで帰ってきました。音楽って進歩しないんだなあって(^_^)。科学技術って進歩するしか生きていく道がないマグロみたいなやつだなあって(^_^)。」
これは2003年12月に私の個人的なBBSに書いたものです(当時はブログっていうのがなかった)。7年前ですね。たった7年で変わるもんです。顔文字もなつかしい。まだアナログビデオデッキが電気屋さんにあったんですね。6歳だった息子はもう中学2年生。彼の身長は妻を追い抜いて、私のそれに迫っています。で、今日テレビを買いました。「国の利権誘導政策ごときで無理矢理地デジにさせられてたまるか。こうなったら意地でもアナログで通してやる!」と息まいていたわたくしですが(笑)、アナログ放送が終了する前に自宅のテレビがいよいよイカレてしまいました。まだ映りはするんですけど、もうすぐエコポイントがなくなるとかで、妻と息子に促され、しょうがなしに電気屋へ。すると上に書いたみたいに7年前に50インチが60万円に値下がりして驚いていたのが何だったのか、結局42インチのプラズマテレビが110,360円(5年保証付)。で、エコポイントが下取りポイントも含めて35000点つくので実質85000円程度で買えました。同じ42インチでもっと安いのもあったんですが…あ、なんだか買い物サイトのクチコミページみたいになりましたね(笑)。で、言いたかったのはテレビを買ったことではなくて、やっぱり世の中いくら便利になっても忙しさは増すばかりだなということ。デザインの仕事って最終的にはマックのパソコンでつくるんですが、マック本体やソフトのイラストレータがどんなに高性能になって高度な処理がバンバンできるようになっても、仕事の忙しさはむしろ増えている。…おかしい。なんかおかしいなあ…と。私がデザインの仕事をはじめたのがちょうど20年前。デザイン業界にマックが登場して、それほど経っていない頃でした。若い人には信じがたいかもしれませんが、当時のマックのモニターは白黒でした。それも大きさは今のiPad程度。そして日本語フォントは細明朝体と中ゴシックの2種類のみ。それもアウトラインができません。データはフロッピーに保管。つまり本体はフロッピーに入る程度の内容しか対応できませんでした。まだアナログの版下をつくっていて、その印字の紙焼きの一部をマックでつくっていただけです。それだけのためのマック一台が100万円したんです。ホントです。A4サイズ1枚を出力するのに何分もかかるモノクロのレーザープリンタが1台50万円したんです。ホントだってば(笑)。当時のマックはMacIIでした。その機械は今も自宅にあります。たぶん動かないだろうけど、その骨董価値をわかってくれる方にはお譲りしますよ。その後クアドラとかいうのを買った時には、その処理速度にぶったまげました。でも数週間でその速度が当たり前になって、その後に今度はパワーマックっていうのが出て、その次にはG1とかG2とかだったかな、そのたびにぶったまげたものですが、すぐその性能があたりまえの仕事のペースになるもんだから、いくら機械が高性能になっても、それを使っている人間はちっとも楽にならないんですよね。何なんでしょ。機械に投資すればするほど忙しくなって、かといって儲かるわけでもない(笑)。クライアントさんからの質や速度への要求は大きくなるばかり。どこかの時点で、いろんなことを整理し直して、もっとシンプルな生活ができないものかと思います。大切なことって何だろうって、もう一度考えなきゃいけないんじゃないかって。デザインの仕事も、カフェのことも、プライベートでも…いや、家庭はいたって健全でシンプルなのでいいんですけど、家の中が物理的に物で散らかっているのでそこも整理したいなと(笑)。世の中、エコとかスローとか癒しとかスピリチュアルとかが商品化されて、あいかわらず人々の物欲を刺激し続けています。42インチのテレビなんてひと昔前は贅沢品だった。まあ、それを言えば車だって贅沢品だし、携帯電話も夢のような機械です。で、便利になったのかと言えば言えなくもない。ちょっと前まで誰も携帯電話を持っていなかったけど、いざみんなが持ちだすと、それが前提の世の中になる。いくらマックを買い替えてもすぐにそれがスタンダードになってしまうのと同じですね。けどそれで幸せなのかというと、そう言う問題ではない。ひいひい言いながら働いて、そんな便利なものを買って、幸せだな〜と思うのは万博ぐらいまでの話です。テレビと冷蔵庫と洗濯機が三種の神器と言われていた時代です。あのころを境にして気がつかなければならなかったんです。自分たちがどんだけ愚かな消費を繰り返してきたかってこと。でもオイルショックでも懲りずにバブルで浮かれに浮かれて、はじけて大変なとばっちりのまま結局今に至ってるわけで。でもテレビもパソコンもケータイもなくては困る生活をしてる。1970年の大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」でした。今聞けば笑っちゃいます。ちっとも進歩なんかしてない。つうか退化してませんか?いろんな意味で。21世紀は同時多発テロではじまりました。その後戦争も環境破壊もなくならない。で、平和そうな国ではエコっていえば何でも通ると思っている。平和の次はエコが正義だと思わされて消費行動を煽られる。それは民主主義も同じじゃないかって。平和を愛するエコロジーな民主主義。こんな立て前ばっかりの偽善を信じこまされて、私たちは毎日あくせく働いているんだろうなと思うのです。平和も愛もエコロジーも民主主義も、いちどは疑ってみた方がちゃんと見えてくるんじゃないかって。そんなことを電気屋さんで思いました。