まちづくりって何だっけ何だっけ?

このあいだから「まちづくり」について、いろんなかたちで行政の方と関わらせていただいています。先日このブログで「まちづくりとアート」についてだらだら書かせていただきました。数年前から屋外広告物審議委員の命を仰せつかっておりまして、さらに今年から長崎伝習所の審議委員という、今後の長崎のまちづくりの方向性を模索する会議に参加させていただいております。さらに先日の「ちゃんぽんミーティング」という市長が直に市民と意見交換をするという場に参加したり、カフェ豆の近くに「まちなかステーション中通り」という長崎市がつくる観光情報拠点ができまして、そこのアドバイザーみたいなこともさせていただいたり、今週は「歩いて楽しいまちづくり座談会」という、まさにまちづくりのための話し合いにも参加させていただくことになりました。なんだか「まちづくり」についていやでも考えないといけないようなことになっております(笑)。いきなり個人的なことを、それも逆なでするようなことをいいますが、私は「まちづくり」って言葉がきらいです(笑)。それは「アートを活かしたまちづくり」について書いたときにも言いましたが、まちづくりっていうことばが漠然とし過ぎていて、なおかつウソっぽいイメージがあるからです。こんなことを言うと、長崎市役所の「まちづくり課」のひとから「ウソっぽくて悪かったな」とつっこまれそうですが(笑)、そうではなくて、まちづくりっていうのはどんなことを目指しているのかということをきちんと答えられる人がどれだけいるんだろと思うわけです。過疎化が進んだ寒村で、あと5人の老人が死んじゃったら、村には誰もいなくしまうっていうようなところを、どうにかして入植者に来てもらって村を存続させて、伝統文化を継承していきたい。若者も老人も助け合って生きていけるようなコミュニティのある村をつくりたい…と思うような情熱のある若者が集って試行錯誤する村づくりやまちづくりならわかりやすいですよね。いい悪いは別にして黒川温泉や湯布院のまちづくりも、「ああ、あれがまちづくりなんだ」ってわかりやすい。同じくこれもいい悪いは別にして馬路村の例もある。大分県臼杵のまちづくりっていうのもありましたね。いまでは日本全国まちづくりであふれているわけです。で、長崎のまちって、まちづくりが必要なの?と単純に思うわけです。いや、怒らないでくださいね、まちづくり課のみなさん(笑)。つまりそこから考えていかないと、日本全国で行われている似たような、つまり通り一遍のまちづくりで終わってしまうんじゃないかってことですね。…そう言いながらも「まちづくり」って言葉をつかっている自分がいやなんですが(笑)。もちろん何をやるにしても問題山積です。このまちづくりってやつを進めていかないといけない立場にあるお役所の人にとっては頭の痛い問題だと思います。いくら旗をふっても地元の人が腰を上げないとか、自分の日々の生活でいっぱいいっぱいだとか、おくんちがあるのに、ほかになんかいるのか?って人もいるでしょう。今の市長が立ち上げた「長崎さるく」が大成功しているから充分じゃないの、という意見もあります。もちろんここではとても書けないようなシビアな実情だってたくさんあります。そんなこんなもみんなひっくるめて「まちづくりをどうしよう」という問いかけは、ちょっとあぶないんじゃないかとも思います。何百年も前から国際貿易港として栄華を極めていた街のなりたちがあるところもあれば、10年前までは山林だったところを無理やり新興住宅地にして、いろんなところから集って来た若い家族の集合体のまちもあります。小さな漁村として続いているまちもあるし、もうすぐ誰もいなくなるだろうという集落もあります。じゃあ、そこに住んでいる人ができることからコツコツはじめようって、どこかの漫才師のようなことを言っても始まらない。じゃあどうすりゃいいんだよってこと。さっき出てきた「長崎さるく」は、長崎の特性を活かしたすばらしいまちづくりのシステムで、これは全国的にも注目され続けているものです。それまでしょんぼり暮らしていたたくさんのお年寄りがまちのガイド役として、みちがえるほどいきいきと活動しています。ほんとにすばらしい。ただ、若い人の関心はいまいちです。それはしょうがないことだし、すべての世代にたいして、ひとつのシステムを適応させようと考える方がおかしいでしょう。だったら、今度は若い人が自らまちづくりに嬉々として参加しようと思えるような新しくて長崎らしいシステムをつくりだすことができれば、長崎は鬼に金棒。そんな都合のいいものがあるのか?って思うでしょ。そんなのがあったら、とっくにどっかで大成功してるだろ…って思うでしょ。で、そこでもしかしたらあるんじゃないかって思い当たるところがあるんです。それが先日ここでチラッとお話しした「腹案」のことです。ぼちぼちそのことについて考えようかなという気にはなってますが、なんせ忙しくって(笑)。いや、もったいつけてるわけじゃないですよ。ものごとには実現可能にするすじみちってもんを踏まないと簡単にポシャりますから、そこは慎重に運ばないとですね。それにひとりで頑張ってできるようなことではないですからね。というか、「さあ、まちづくりだ頑張ろう!」って言ってやれるようなことじゃないんじゃないかということを言いたかったのです。だから「まちづくり」とわざわざ掲げて何かやらねばっていう発想からぬけださないといけないんじゃないかということを言いたいがために、「まちづくりって言葉は嫌いです」と言ったんです。じゃないと若い人たちが振り向かない。たとえ市役所の人が旗を振っても、じいさんたちしか集らないのはそういうことなんだと思います。若い人たちが夢中で取り組んで嬉々としてやりとげたいと思うシステム。それが結果的にまちづくりになったとしても、それにまちづくりの言葉は似合わないと思うのです。この続きはまた近いうちに。