人それぞれという間違い

「人それぞれだから」ときどきそんな言葉を耳にします。それって個人を尊重しているかのようで、じつは他人との関わりを突き放しているのではないかと感じます。「人それぞれだったら何なんだ」と思ってしまうのは私だけでしょうか。私たちは個人という概念を尊重しなければならないと教えこまれてきたように思います。そこで「自己=個人」という大きな間違いに気づかないまま、知らないうちに利己的な考え方に陥ってしまっているのかもしれません。戦後の日本は、他人を思いやる気持ちを持てない教育システムと社会を作り上げてしまったのかもしれません。こうやって人やものごとを疑ってかからなければ真実にたどりつけない世の中というのは、とてもまどろっこしく思われるときがあります。そしてそんなときにかぎって真実へたどりつくことはないようです。ニュートラルな感覚でいたい。それさえままならない現代。それ以前に何がニュートラルなのかがわからないというのが正直なところでしょう。それは現在の自分のまわりに渦巻くいろんなバイアスから抜け出ることがいかに困難かということを知ったうえで、では自分とそれ以外の人々との関係をどうやってつくっていけばいいのか。こんな歳になってもさっぱりわからないというのが正直なところです。大切な人との出会い。いや、人との出会いの大切さ。そうしたことを考えるとき、「人それぞれだから」という人間関係を断ち切ってしまうような感覚に違和感を感じなくなるのは恐ろしいことだなと思います。
なんだか場違いな文章だなと思われたでしょう。でもそれほど場違いでもないんです。いまこの世界に生きている人と感覚を共有したい。アーチストというのはそうした思いによって、絵を描き、ものをつくり、歌をうたい、音を奏で、言葉をつむぐのではないでしょうか。そうした思いが伝わる作品はとてもすばらしいと思います。逆に自己主張ばかりしている作品、つまり「オレがオレが」って叫んでいるようなものはほんとうにつまらない。でも意外にそんな作品が世の中にあふれています。「オレがオレがあ〜!」と叫んでいる歌も多い。叫んでいるほうはそれで満足なのかもしれないけれども、叫ばれたほうはたまったもんじゃないです(笑)。そしてそんな自称アーチストのたちが悪いのは、叫んだ自分がすっきりした分だけ他人に感動を与えているものと勘違いしているところですね。表現することの高揚感は必ずしも他人に伝わるものではありません。それは表現者が自己というものをどこまでの範疇で捉えきれているのかでまったく違ってきます。つまり自己=自分=個人という最小単位であれば、誰にも何にも伝わらない。伝わらない表現など何の意味もない。でもそんな何の意味もない表現が世の中にあふれかえっている。私は表現者というのはことさら謙虚でなければならないと思っています。芸術家というのは多少のわがままやひとりよがりが許されて、社会規範を逸脱しても仕方ないみたいに思われがちですが、本来は決してそんなことはないと思います。芸術家のわがままが許された時代は近代のヨーロッパ、つまり「個人」という考え方が社会に進出してきた場所に生まれたものです。ある意味特殊な社会での芸術家像だと思います。「破壊と創造」の名の下に、表現のいろんな試行錯誤が繰り返された時代は、同時に搾取のための戦争に明け暮れた時代でもありました。そしてそれは今でも続いています。世界は今でもごくわずかな搾取するものと、大多数の搾取されるものにわかれています。搾取する側にとっては大衆は愚かな生産者と消費者であればいいわけですから、個人、つまり「人それぞれ」という考え方は、その搾取するものたちにとって、とても都合のいい概念なのかもしれません。人それぞれという互いの存在の関係性を希薄にすることで世界を見えにくくしてしまう。だから「オレがオレがあ〜!」という叫びは、自己=個人だと言っているだけにすぎません。逆に互いの関係性を確認しながらつながりを広げていくこと。そこでは自己は決して個人ではありません。それを天性の感覚でわかったうえで、さらに作品にして伝えることのできる表現者こそ芸術家ではないかと思うのです。そうした互いの、つまり自己をとりまく関係性の広がりというベクトルがなければ、いくら絵を描くのがうまくても、いくら歌を上手につくったり歌えたりしても、誰もふりむかないでしょう。
カフェ豆ちゃん内のギャルリーコクトーでは、オープン以来、地元長崎を中心にさまざまな作家に直接お願いして企画した作品展を開催してきました。そしてこれからも、きちんとした表現と呼ぶにふさわしい作家と作品をご紹介していきたいと考えています。その考え方の基本にあるものが上に長々と(笑)書いたことです。とるに足りないひとりよがりの自己表現はありません。むしろもっともっと注目してしかるべき作家と作品をご紹介していければと思っています。
ゴールデンウィーク明けから、ギャルリーコクトーではふたたび美術作品の展覧会が続きます。まず5月は「馬場一郎作品展」。馬場一郎氏は、私の大学の大先輩であり、かつての職場の大先輩でもあり、尊敬すべき画家でいらっしゃいます。それから、6月は「太田孝三作品展」。偶然ですが太田さんも大学の先輩であり、かつて職場の先輩でもありましたし、素晴らしい作家として活躍されましたが、残念ながら病により逝去されました。しかし太田氏の繊細かつ圧倒的な作品はこれからも時代の光彩を放つものとして広くご紹介していきたいと考えています。
ということで、今回はギャルリーコクトーにはどんな考えでどんな作品が並ぶのかをご紹介しました。あいかわらずの改行なしの長文で申しわけありませんでした(笑)。