「藤城かおる写真展 眼鏡橋百景」に思うこと

え〜と、あいかわらず忙しい毎日なのですが、あんまり忙しい忙しいと書いているとお客さんが気の毒がって来てくれないんじゃないかと心配しています。忙しいのはお店ではなくてデザインの仕事のほうなので、カフェはもっともっとお客さんに来てほしいです。みなさん、遠慮せずに来てくださいな(笑)。
おかげさまで、ランチもコーヒーもケーキセットも、トーストセットも、みんな「美味しい!」と言ってくださいます。昨日は午後3時前にランチの材料がなくなってしまうほどで、用意していたケーキも売り切れて、あわててティラミスをつくりました。毎日これくらいお客様に来ていただけるとカフェ豆は安泰なのですが、まあ、今の世の中そう甘くはないですね。あいかわらず暇な日と忙しい日が入りまじっていて、まったく予想がつきません。平日と土日では、土日が忙しそうなものですが、実際そうともいえなくて、平日の開店直後からお客様でいっぱいになったり、逆に土曜日のお昼にガランとしていたりもします。カフェ豆は開店して2年半になりますが、そのあたりのお客様の波はさっぱりわかりません(笑)。でもこうしてたくさんのお客様が変わらず来てくださるのはとてもありがたいと思います。それはこんなに世の中の景気が悪くなるだけ感じます。ほんと「有り難いなあ〜!」と思う毎日です。カフェはどんなに忙しくても営業時間が過ぎてしまえばちゃんと終わりがあるのですが、デザインの仕事は締め切りまで待ったなしなので、何が何でも、たとえまる3日寝なくてもやらなくちゃいけないんです。じつは先週と先々週がそうだったんですが(笑)。ですからカフェにたくさんお客様が来てくだされば、デザインの仕事もここまでやらなくて済むかもなんて虫のいいことを考えたりして(恥)。いえいえ、デザインの仕事もこうして頼りにしていただいているクライアント様があってこそだし、こうしてカフェが好き放題やれるのもデザインの仕事があってこそなんです。妻から言わせればデザインで稼いだお金をカフェにつぎ込むろくでなしです。はい(汗)。デザインだけやってれば、こんなに寝ずに働かなくたってすんだんです。でも人生それで終わりたくない。きっとそう思ったんでしょう。そしておかげさまでカフェをやることでいろんな素敵な人と知り合うことができました。そしてどんどんその輪が広がっています。これこそが財産だと思います。今の時代、小さなカフェ1軒続けることさえままならないですが、なんとか、なんとか続けていくことが、ひいてはこの街の財産になるのではないかとも思っています。これからも一生懸命やります!「頑張らなくていい」とか「自分のペースで」とか「あなたはあなたのままでいい」とか、そんなションベンタレな無責任なことを言ってカッコつけてるような時代ではありません。カッコつけた店ではなく、カッコのいい店になればと思います。カッコとは外見ではなく、中身の良さが自然なカタチでにじみ出るお店になればということです。それはここに集ってくださるお客様によってつくりだされるものだと信じています。これまでもこれからも進化かどうかはわからないが常に変化するカフェ豆をどうかごひいきにお願いしまっせ(最後はなぜか手もみで関西弁)。
 
 

現在ギャラリーで開催中の「藤城かおる写真展 眼鏡橋百景」はたいへん好評です。藤城くんは2008年4月1日から毎日!そう、ほぼ毎日ではなくて完璧に毎日毎日毎日毎日眼鏡橋の写真を撮り続けている。そう、今も毎日毎日毎日毎日撮り続けている藤城君の600枚を超える写真の中から、なんとか100枚を選んでもらって展示しています。眼鏡橋のいろんな姿があります。眼鏡橋の写真というよりも、眼鏡橋を通して見た長崎の空気のようなものと言ったらいいでしょうか。デジタル技術によって、写真が写真家のものだけではなくなって久しいですが、この藤城君の写真も、そうしたデジタル技術による新しい表現へのカタチなのかもしれません。何年間も一日も欠かさず眼鏡橋の写真を撮り続けるなんてプロじゃできません。プロはそんな暇はないでしょう(笑)。でも藤城君はそれをやり続けている。やり続けて何がどうなるんだなんて、おそらく本人もわからないでしょう。でもやるんです。それはおそらく彼だからできること。つまりほかに誰にもできないことをやっているということは凄いなと思います。やれと言われればできないことはないですが、誰からもやれと言われることなく、やるときめてやっちゃう。そのことが「誰にもできないこと」なんだと思います。写真としてのクオリティは最初はほとんど素人です。それもそうでしょう、素人なんですから。でもだんだん「おや?」と思うようなカットが出てくる。そしてそんな「おや?」にあたる回数が次第に増えてくるんですね。そして最近ではかなりのクオリティだと思えるものもあります。これは今回の100枚の写真を順にプリントアウトしていった私の正直な感想です。「う〜ん、ウデをあげやがった」そう思いました(笑)。先日のブログにも書きましたが、彼の視線が確実に変わってきているんですね。それはアマチュアの域を越えてプロに近づいているというような意味ではなくて、写真が写真として生きていると思います。彼は芸術的な写真を撮ろうとしているのではないし、写真自体を褒めてもらおうとしてやったわけではない。眼鏡橋の様子を記録として毎日写真に収めたかった。おそらくそうした気持ちなのだと思います。それが結果として他人が見ても面白かったり凄かったりする写真が撮れるようになった。プロの写真家から見れば、ひとつひとつの写真はなんてことはないのでしょうが、これが毎日毎日同じ被写体のある場所に出かけていって撮り続けているなかのほんの1枚だと考えると話は別です。プロが撮る写真とはまったく違った意味を持ってきます。昔、川原温(わからおん)という現代美術の作家がいて、この人はいわゆる日本におけるコンセプチュアルアートの第一人者と言われる人なんですが、この人の作品に、自分の友人に日付だけを書き込んだハガキを毎日毎日送り続けるという有名な作品があるのですが、これはハガキが作品ではなくて、そうした一連の行動すべてを含めた概念を作品としたわけで、今思えば面白くもまどろっこしい(笑)やっかいな作品だなと思うわけですが、今回の藤城君の展示は、タイトルや見た目こそ写真展ではありますが、やってることはアートに近い。でもおそらく藤城君本人はこれがアートだとかなんとか思いもしないでしょう。それはひとつは自分に課する命題によって自分自身を確認する作業のようなものかもしれません。誰からやれといわれたわけではなく、やったからって何になるわけでもない。でもやるときめたからにはちゃんとやる。これは目的や結果がはっきりしていないからこそやれることなのかもしれないし、やっぱり藤城君だからこそできおうせることなのかもしれません。世の中は、目的や結果が分からないまま何かをやることに耐えられない人のほうが多いでしょう。しかしこうして目的や結果がすべてではないことを飄々とやってのける人間がいることは、とても大切なことなんじゃないかと思うのです。今の世の中だからこそ余計そう思います。いずれにせよ結果として写真は他人が見ても十分に楽しめるものです。そして移りゆく季節の中の眼鏡橋の写真を見ながら「目的や結果のためにしか動けない人間社会」についてちょっとだけ考えてみるのもいいかもしれませんね。
そうそう!彼のホームページにすべての眼鏡橋の写真が時系列で見ることができます。コメントもついています。こんなページがあるなんてみんな知らないので、1日のアクセス数は一桁なんだそうです。みなさん是非!ぜ〜ひ〜このページをご覧下さい。↓
http://f-makuramoto.com/30-megane/
そして彼がつくったもうひとつのすごいサイト「長崎年表」。彼は長崎に関する出来事が平安時代から克明に書き込まれた年表を今も更新中です。その分量とこまやかさには圧倒されます。たとえばあなたの生まれた年に長崎では何が起こったかなんてすぐにわかります。ちなみに私が生まれた昭和33年は「4月1日、売春防止法施行。全国で約3万9千軒、従業婦12万人が消える。」丸山のいわゆる「赤線」が消えた日ですね。それから4月14日は「被爆した浦上天主堂のハンマーによる人力取り壊し作業がはじまる」。そう、このとき壊していなかったらまちがいなく世界遺産ですよね。それからこの年にチキンラーメンが発売されたそうです。そしてこれを機に「支那そば」とか「中華そば」とか呼んでいたラーメンを総じて「ラーメン」と呼ぶようになったんだそうです。こんなふうに全国的な出来事も挟めてあるのでわかりやすいです。長崎年表はここ↓
http://www4.cncm.ne.jp/~makuramoto/