今日から「中島秀明絵画展」


今日からカフェ豆店内のギャラリー「ギャルリーコクトー」では「中島秀明絵画展」が始まります。何から説明したらいいのか迷ってしまうほど、とてもたくさんのことを言ってしまいたくなるほど、中島さんの絵画は魅力に溢れています。長崎にはいわゆる「画家」と呼ぶにふさわしい人はそれほど多くはいません。それは長崎に限らず、日本のどこだってそうなのでしょうが、そんななか中島秀明さんは数少ない長崎の画家のひとりだと私は思っています。それはひとつは中島さんが昔から徹底して「絵画」という表現形式にこだわり続け、今もなおそのスタンスが変わらないこと。かといって伝統的な技法による修錬の世界に埋没しているのかと言うとまったくそうではなく、かといって現代美術とよばれる無責任なイケイケドンドンの世界ともまったく違います。やはり中島さんは「絵画」というシステムの中に何かを見たいがために、その頑なスタンスにこだわり続けているのだと、私は勝手に想像しています。私(カフェ豆店主)は美術系大学を卒業してすぐに公立の高校美術の教師になりました。そのとき私は24歳。そして長崎県高校美術部会という高校の美術の先生だけの組織の若手としていらっしゃったのが中島秀明さんでした。当時、私も中島さんも教鞭をとるかたわら、精力的に美術作品制作と発表を繰り返していました。中島さんが企画した展覧会のお手伝いをしたりしました。若かった私は現代美術にかぶれていたこともあって、表現スタイルにそれほど固執することもなく、インスタレーションやビデオや版画の作品を作っていました。でも今思い返してみると、当時から中島さんの作品は「絵画」だったような気がします。「絵画によって何かを表現するのではなく、絵画自体を表現する」とでも言わんばかりの作品です。「絵画自体に価値があるのであって、作家は絵画を成立させるための道具に過ぎない」と言ったら言い過ぎでしょうか。つまり「絵画は絵画であることですでに十分魅力的であり価値がある」ということなのではないかと思うのです。もちろんこれは私(カフェ豆店主)の考えです。でも中島さんの作品を見るとそんな絵画自体の魅力が見るものに迫ってきます。私が30歳を過ぎて美術教師を辞めた同じ頃、中島さんも美術教師を辞めていました。そして私はグラフィックデザインの仕事を始め、美術の世界からは遠ざかりました。中島さんは自ら絵画教室を開き、美術系大学を目指す若者の指導に専念し、そして画家としての道を歩まれました。それから20年後の今日、私のつくったギャラリーで中島さんが作品を展示するという思いも寄らないかたちになりました。人生っておもしろいですね。
この中島秀明絵画展は12月13日までのロングランです。ひとりでも多くの方に見ていただきたい作品です。作品について語り出せばきりがないのでやめておきますが、見る側にとっては難しく考えたり、謎解きをしたりする必要はまったくありません。この自由奔放なのに禁欲的な色彩の乱舞を正面から感じていただければうれしいです。
それから11月28日(土)の午後4時から、中島さんのギャラリートークを開催します。「テーマは絵画と観る人のあいだ」。参加費はコーヒー代として500円のみ。これまで多くの子どもたちを指導して芸大に送り込んできた中島さんが「絵画の魅力」について語ってくれます。予約などは不要ですので、是非おいでください。ちょっとでも絵画に興味のある方なら目からウロコの話だと思います。逆に絵を自己表現の手段ぐらいにしか思っていない人にとっては理解できないかも知れませんね(笑)。