メープルトーストとパンケーキのセットが明日からスタート!

もうすっかりカフェのブログとは思えない状態になってしまいました(笑)。久々にカフェの情報を!
カフェ豆のメニューの中で、ひと際人気なのが毎朝お店で焼いている手づくりパンなのですが、これが数が限られているので、これまでランチでしか食べられませんでした。以前はランチ以外の分ぶんも焼いていたのですが、これがまた手間がかかりすぎて、ランチもパスタに変更したのでやめていました。で、あれからいろいろ模索致しまして、あのパンを食べたい!というお客様にお応えできるようになりました。カフェ豆ちゃん手づくりメープルトーストセット、それと全粒粉のパンケーキセットの登場です!

まずメープルトーストセットは、いつもランチに出しているパンドカンパーニュやレーズンパンや黒ごまパンを厚めに切ってこんがりトーストします。その上にバターとメープルシロップをたっぷりトッピング。あ〜、もうこれだけでヨダレが出てきそうでしょ(笑)。やっぱりマーガリンではだめですね〜、バターですよ〜。それからメープルシロップがカリッと焼けた香ばしいトーストの上にジュワ〜っとしみたところをガブリッ。ン〜〜〜美味しい〜!

これにブルーベーリージャムが乗ったカスピ海ヨーグルトがついて、スペシャルティコーヒーがセットになっています。めちゃめちゃヘルシー!コーヒーの種類で値段が違いますが、アメリカーノのセットで750円、カフェラテだと800円です。ボリュームたっぷりのパスタランチまでは食べきれないけど、ちょっと小腹が空いたなというときはばっちりですね。それからもうひとつが全粒粉のパンケーキセット。

これはパンドカンパーニュで使っている全粒粉をパンと同じように発酵させてから焼いたモッチモチのパンケーキです。ランチのときのパンドカンパーニュも大人気ですが、パンケーキでこの食感はおそらく他では食べられない美味しさです。ただのパンケーキはバフッとしてますが、この全粒粉を発酵させると独特のモチモチ感がとっても新鮮だし、やはりバターとメープルシロップの相性が抜群にいいですね。これもカスピ海ヨーグルトスペシャルティコーヒーのセットで、トーストセットと同じ価格です。それとランチと重なるとどうしても手に負えなくなるので、このセットメニューは午後2時からとさせていただきます。明日からスタートです。よろしくお願いします。!
 
それから新しくなったカフェ豆パスタランチもしっかりやってますのでご安心を。あったかいスープと手づくりパン、ボリューム満点のパスタはイタリア最高級のディチェコを使っています。コーヒーもフルサイズで予約電話をいただいたお客様には以前はスムージーでしたが今は自家製バナナケーキをサービスさせていただいています。これで採算度外視の980円です、あいかわらず(笑)。また、ランチのお客様だけにサイドメニューとしてグラスビール、グラスワイン、各種スイーツを特別価格でご奉仕させていただいております。すばらしいアートにかこまれて、おいしい食事やコーヒーとともに、ゆったりとした秋の時間をお過ごしください。お待ちしています! 
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はい、今日ご紹介するのは子どもから大人までとっても人気のある作品です。題して『よびかけられる』です。

『よびかけられる』 御影石 340×260×100mm \200,000
本来固いはずの石がこんにゃく板みたいに穴があいてぐにゃりとめくれている様子は、誰が見ても楽しくなってきます。とても素朴な造形の面白さをもった、肩のこらない作品です。多少フォルムが違っていたとしても、この作品のもつ楽しさは変わらないでしょう。ほんの数ミリの長さや、コンマ何度という角度に毎日格闘している作品とは基本的に違います。もちろんこうやってひとつの作品にするには素人では絶対できない技術的な修錬があってこそなのですが、その技術と感覚があって、ある意味そうした余裕の中で楽しい作品ができたのではないかと思います。私はジョン・コルトレーンの有名なアルバム『バラード』を思い出しました。常にギリギリのところでジャズという音楽の可能性を模索してきたコルトレーンが、ある日ふとした巡り合わせから水を得た魚のように、のびのびとバラードを吹き込んだ作品。きっとそうしたアプローチの転換が、さらに本流の創作へ力を向かわせるのかもしれません。
それにしても、人は石に穴が空いているだけで、どうしてこんなに楽しい気分になるのでしょうね。
 
先日、野島氏と話をしている中でジャコメッティが話題にのぼりました。私は「あ、そうか、ジャコメッティって彫刻家だったよね」と、つまりジャコメッティ=彫刻家という認識があまりありませんでした。最後には消えてなくなるんじゃないかと思えるようなマッチ棒の燃えカスみたいな(失礼)作品。いや私も若い頃あの本物を見た時にはガビーンと来ました。なんか恐れ多くて正面から見れないというか、きちんと正座して向き合わなければはじき飛ばされそうな凄みを持った作品に、う〜ん芸術って深いよなあ…と思い知らされました。で、そのときはそれが彫刻かどうかなんて気にもしなかったわけです。前にも書いたように、私はどうやら絵画的な見方しかできない人間のようですから、ジャコメッティの立体作品も、あの恐ろしい人物デッサンとひとつも変わらなかったわけで、あらためて「ジャコメッティの彫刻」と言われても、あ、そうか彫刻だよね、と今さらのように気づくしかなかったわけです。私は今回のこの一連の書き込みの中で、どのタイミングでジャコメッティを出そうかと考えていたのですが、意外と今回のリラックスした雰囲気の方が話を切り出しやすいみたいです。ジャコメッティというのは、もういいとか悪いとか、好きとか嫌いとか言ってる場合ではなくて、凄まじいほどの現実に立ち向かう態度は、どこか別格な感じがします。現実に立ち向かうというのは、生活とか政治とかそんなことではなくて、哲学的な現実、いま、ここ、自己、他者、そういった現実です。彼は徹底したリアリストだった。目の前の人物が本当にいるのかいないのか、いるとしたら、今見えているように存在しているのか、そのことを確かめるために、来る日も来る日もデッサンを繰り返し、彫刻をつくった。そしてどうにもこうにも見えてくるのは現実の遠ざかりである。求めれば求めるほどそれが自分から遠ざかっていく。そういった苦悩の日々だった…のではないか。あの息がつまるような緊張感のあるデッサンや立体作品は、他人がおいそれと直視できないほどの問題意識を投げかけます。思わず「私が悪かった、勘弁してください」っていうぐらい真剣なまなざしで問いかけられます。恐ろしいです(笑)。
話のついでに脱線を承知でもう少し書きましょう。私は常日頃、数人の天才を除けばいつの時代も芸術は修錬の賜物だと思っています。頭だけで考えて人の心を動かそうなんて所詮ふざけた話であって、気晴らしやひまつぶしで絵を描いたり楽器を演奏したりする趣味の世界とはまったく違うものです。作家やプロの演奏家は生身を削って、修錬に修錬を重ねた結果、あ〜もうだめだ〜というギリギリのところまで来て、どこからかやってくる光を手にすることができるのだと思っています。いつしか自分という存在がちがったものになっている。つまり作品をつくる自分が、ある時点でつくらされている何かであることに気づくわけです。人生をそのままそうした世界につぎこむプロの世界と趣味や暇つぶしの世界を比べることすらおこがましいのですが、なぜか美術の世界はその境目がはっきりしていないんですね。
野島氏は長崎では数少ない彫刻家としてのいわば挑戦者だといえましょう。文字通り手探りで未開のフォルムへ挑み続けています。そして今回の個展は単なる今の時点での経過報告ではなく、明らかにひとつの到達された作品の発表の場として開かれたように思います。それが『有明海に浮かぶ月』だと思います。カフェ豆はそうした本気の作家の仕事をきちんと紹介していける空間になればと思いつくりました。そして見事にその作品がやってきました。これからも小さな空間ではありますが、毎月くりひろげられる作品のクオリティはカフェの常識を超えていると思います。本当の作家の作品が集まり、それをきちんと楽しむことのできる空間にできればと思っています。