『飛翔』

昨日は定休日だったので、普段できないことを一気にやってしまわないといけないのでかえって忙しい店主です。ということで昨日は作品紹介もお休みさせていただきました。今日ご紹介する作品は『飛翔』です。

『飛翔』 御影石 120×680×110mm \400,000
私は多少絵を描いてきたこともあって、絵画には作り手の立場からものが言えるのですが、彫刻についての経験がほとんどないので、ほんと単に見た目の印象だとかからしか話をすることができません。そうしたこともふくめて、間違いも恐れずに書いていますのでご容赦ください。野島氏の作品はカテゴライズするならば「抽象彫刻」というものに入るのでしょう。そうした分類自体にどれほどの意味があるのかはわかりませんが、抽象彫刻というときにはやり避けて通れないのがブランクーシの仕事だと思います。いや、ブランクーシについてはほとんど知りませんが、有名な「無限柱」などは抽象というよりミニマリズム、あるいはコンセプチュアルアートに近いなということで知ってはいます。もしかしたらすでに彼はあの時点で彫刻というものから遠ざかってしまったものではないかとも思います。具象的な形態からいろんなものをそぎ落とし、これ以上はできないというところまで単純化していく作業は、言葉で言うほど簡単なことではなさそうです。単純化するからこそ見えてくる微細な何者かが大切なのであって、ミニマルアートのようなストイックなものとはまったく違うでしょう。何をそぎ落とすのかということも大変な問題です。で、どこでどうなったのかはわかりませんが、あの無限柱…私的には「コンセプチュアルアートの金太郎飴」は、当時衝撃的でした。ひとつの形態の極論とも言える作品は、単なるミニマリズムとも違う宗教的な精神性の具現化だったように思います。
形態を追いかけていると、善かれ悪しかれこのようなフォルムから避けて通れなくなるのかもしれません。美しさ、存在感、重力、永遠、誕生と消滅、見えない力…そうしたものが作家と目の前にある石の間でどのようなせめぎ合いを起こすのか、そして結果として出てくるのがこのようなフォルムになる。多くの彫刻家が、こうした縦型の流線型に辿りつくのは、ある意味必然的な流れなのかもしれません。いや勝手な憶測ですがね。ですからこの『飛翔』はブランクーシの影響というよりも、ブランクーシも辿ったフォルムへの追求の道筋なのかもしれませんね。ただブランクーシの場合は、どこかの時点でポンッとシフトチェンジがあって無限柱になったような気がします。
私があんまりいい加減なことを書くと、作者が書きにくいと思いますので、このへんで。