ランチへGO!

このブログの一日のアクセス数はおよそ200(150から250の間をふらふら)ぐらいなのですが、4月1日はなんと388。ブログだけを見てお腹いっぱいになっているあなた、リアルなカフェ豆に足を運んで、ボリュームたっぷりのパスタランチでほんとうにお腹いっぱいになってくださいな(笑)

当日でも午前中に予約のお電話をいただければデザートのアイスクリームまでついてきますよ〜。ランチは土日もやってますよ〜。
余裕があれば、週間ランチ情報も復活させたいと思います。

世界一になったナイフ作家 松崎猛「カスタムナイフの世界」もどうぞよろしくです。

 
それにしても、ようやく日本でカフェというものが一般的になったとはいえ、いわゆる喫茶店とカフェの違いがはっきりしていないのも確か。喫茶店といえばガラスの嵌まったスイング式の木製ドアを押して開けると、羊飼いを思い出させるカランコロンと鳴るベルが聴こえ、ドリップ式やらサイホンなどのコーヒーが飲めて、新聞や週刊誌やビッグコミックが置いてあって、壁に「アイスコーヒーはじめました」などと、手書きのポップが貼ってあったりする。一本足の回る椅子に根を生やした常連客がカウンターに張り付いていて、「いったいこの人はいつ仕事をしているんだろうか」と思ったりする。なかにはメニューにカレーとかあったりするけど、どう考えても業務用レトルトパックを温めただけのカレーで、スプーンの先がペーパーナプキンに包まれて出てきたりする。常連さんはそのスプーンをなぜか自分に出されている水のグラスにポチャンとつけてから食べはじめる。食べた後は「コーヒーもう一杯ね」と言いながらお店の新聞を隅から隅までながめては、ときおりお店のママさんとどうでもいい世間話をして時間をつぶしている。古き良き昭和の喫茶店文化である。当時もエスプレッソという言葉がありはしたが、いったいどういうものなのかをほとんど誰も知らなかった。イタリアではやたら濃い真っ黒のドロリとしたコーヒーを一気飲みするらしいというまことしやかな噂にとどまっていた。喫茶店ではちびちびとお湯を注ぎ入れたコーヒーを、これまたちびちびと飲む、砂糖を入れずに苦いのを我慢しながら飲むのが「ツー」の飲み方などとバカな噂が広がっていた。モカマタリだのキリマンジェロだのブルマンがどうしたなどとわけのわからない話もあった。そんな謎に満ちた一種独特の日本の喫茶店文化も、昭和が終わりを告げ、スターバックスという新参者にすっかりお株を奪われてしまった。アメリカ式のエスプレッソやラテが若者のライフスタイルにマッチしたのだろう。訓練されてやたら愛想のいいバリスタにオーダーして、その場で料金を払いコーヒーをうけとり、あとは好きなように椅子やテーブルを占拠してそれぞれの時間を過ごすというスマートなスタイルがあっというまに日本中に広がった。またスターバックス以外でも極端に安いコーヒーを提供するかわりにセルフサービスで徹底的にコストダウンして成功しているFCも日本中に広まった。コーヒーの質など問題外であり、もともとコーヒーの味に期待していない客層がターゲットであるのだから商売としては理にかなっている。
フランスのカフェ、イタリアのバール、スペインではバル。一般の人たちの生活に密着したなくてはならないカフェとはずいぶん違ったかたちで日本のカフェが成り立っているように思う。昭和の喫茶店のほうがまだ日本人の生活にとけ込んでいたろう。毎日のようにサルトルやポーヴォワールが、ピカソジャン・コクトーが、哲学や芸術論を交わしたカフェとは完璧に違う薄っぺらな休憩所でしかない。ヨーロッパのカフェは文化が芽生える土壌となりえた。人々の生活が文化と混ざり合う接点であったように思う。カフェ豆が標榜する「極北のカフェ」とは、そうした文化の根ざす有機的な空間であり、フレキシブルなベクトルを感じさせながらも、やすらぎをも共有できる知的で静かな出会いの拠点でありたいと思う。
 
これからカフェ豆は次々と企画展やイベントをしかけていきます。レベルの高い作品展や一般的には実現し得ない講演会やその他のイベントは、回を重ねることによって総体的にはひとつの実験であるといえるかもしれません。長崎のような公的に文化意識の薄い地方都市においてどこまでできるのかはあわりませんが、一件の小さなカフェに集うさまざまな人たちの出会いの向こうには、きっとすばらしい出来事が待っているように思います。今後、片時も目を離せないカフェ豆へGO!