本物の場所

さて日付も変わって19日。昨日は昼忙しかったからさぞ夜は暇だろうとおもいきや、結局ずっとお客さんでした。この調子で明日もと思ったら大間違いというのが、このひと月でわかりました。調子こいてランチを多めに作ったりすると途端に暇だったりするんですなあ(笑)。とか言ってるとその裏をかいて忙しかったりして…などと書くと結局暇だったり…。つまりそうやって毎日お客さんの出入りによって一喜一憂してもしょうがないということですなあ(笑)。といって、まあそんなもんだなんて高をくくったら最後とも思うのです。う〜ん、水商売って難しいです。デザインの仕事というのは金額にすると最低でも万単位で、うちのような一人の事務所でも大きいとうん百万単位になって、コーヒー1杯500円という世界とはまったく違います。デザインでは仕事によっては1時間で10万円になったりするけど、カフェ豆で1時間に200杯ものコーヒーは出せません(笑)。目の前のお客さん相手だから相当な気を遣うことを考えると、まったく割の合わない仕事ではあるのです。幸い私の場合、営業しなくてもデザインの仕事はやって来ます。きっちり仕事をやっていれば、それが最大の営業です。でもカフェの場合は商品開発から仕入れ、経理、接客、商品管理、宣伝広告、設備のメインテナンスなどなど、そりゃあもうきりがないくらいのいろんな仕事をやりながら、そこで一度でもお客さんに嫌な思いをさせてしまえば経営的にも個人的にもがっくりと落ち込むという大変なリスクを背負っているわけです。そこで、なんでそうまでしてカフェやるの?と自分でもときどき思うのですが、思うに、きっとカフェと言う業態の先にいろんな素敵なことにつながる可能性が見えているし、まだ考えもしない楽しいことや素晴らしい出会いが待っているような気がするからです。誰も来ない事務所に一人こもってデザインの仕事をしていれば食うには困りません。若いうちならそれもいいでしょう。でもこれまで生きてきた時間よりも絶対長くは生きられないと実感したときに、自分は死ぬまでに何がやれて、何をすべきなのか、などと考えたときに、単に生活のために働くことの無意味さを実感したのでした。こんな歳になったからこそ、だめでもいいから好きなことややりたいことをやろうよ、と思ったのです。ああなりたい、こんなことしたいと言うばっかりでは、若いうちは夢であっても歳とってからでは愚痴やぼやきでしかありません。背伸びはしないが多少の無理はする。そうやってなんとか形になったのがカフェ豆というわけです。私はたくさんの人にカフェ豆で素敵な時間を過ごしていただきたいと思っています。だからお客さんが少なかったりすると、自分の考えが根本的に間違っているんだろうかと不安になったりもします。素敵な時間とは人それぞれ違うでしょう。でもこの空間で素敵な時間を過ごすことのできる人に来ていただきたい、といえば傲慢でしょうか。1年かけて考え抜いて、たくさんの友人のおしみない協力のもとにオープンできたカフェ豆が、これからいろんな人との出会いの中で本物の場所になれるよう頑張ろうと思います。「本物の場所」とは、商売だけでも理想だけでもない、さりげなくそれでいてワクワクするような、夢で終わらない、かといって現実に流されない場所になってほしいと願っています。