カフェ豆はゆっくりと

カフェ豆開店計画をガンガン進めていたら、本業のデザインの仕事もけっこう入ってきて、やっぱりこれはこれでキッチリやらなくてはいけないので寝る間がない。それでも優先順位としては目の前にあるクライアントの仕事がやはり一番なので、ここはひとつグッとこらえて仕事優先でやっていこう。仕事があれば開店がひと月やふた月遅れてもドオってことはないわけだ。店舗の工事が終ったら、とりあえず引っ越してからデザイン事務所としてやっていきながらカフェの準備をすればいいし、あわてて開店させないといけない理由はひとつもない。お店のイメージは細かいところにいけばいくほどまだまだ揺れ動いているし、スプーン1本にしてももっともっと選び抜いていきたい。イメージは固まっているけど、それに似合うものをどこまで揃えられるか、そこにどこまで時間と労力をかけていられるかが今の課題だと思う。近いうちにもう一度博多に行ってリサーチをする予定。それから3月はエスクァイアの授賞式で東京に行く機会があるので、何日かよけいに泊まって家具とか食器を見てこようと思う。3月いっぱいには内装は完成しているので、それから家具や食器を決めても全然大丈夫なわけである。はやく開店したい気持ちを抑えに抑えながら、飽きのこない息の長い、それでいていつも新鮮で刺激的なお店にできればと思っている。
徹底したシンプルさはよりその素材の質が問われる。ごまかしようがないだけに壁や床の素材そのものがストレートに空間をかたちづくっていき、そこにいる人の存在のしかたに大いに影響を及ぼす。カフェ豆開店のためのリサーチのために、同業のカフェを見て回らず、ホテルや旅館や家具屋や美術館に行くのは、空間そのものの質の高さにこだわりたいと思っているからだ…と思う(笑)。正月に泊まった博多のホテル・イルパラッツォ。たしかにオープン当初はデザイナーズホテルの先駆けとして、さぞ華やかだったろう。しかし20年後の今、そこはあのときのまま何の改良も修繕もされないまま、老朽化の一途をたどっているようにしか見えなかった。客室フロアに通じるエレベータを降りると、気温が常時30度はあるかと思うほどの空調設定。部屋に入るとカビ臭いシミだらけのカーペット。バスルームの目地にはカビとヒビが放置され、もはやどう見ても時代遅れの水洗器具。通気口のまわりは建てられて一度も掃除をしたことがないかのように黒ずんでいた。駐車場には従業員のタバコの吸い殻が溜まっており、おそらく駐車場の管理まで目が届かないのだろう。従業員の接客態度はきちんとしてはいたが、その服装の着こなしはホテルマンとは呼べなかった。ホテルの命であるベッドはお粗末のひとこと。おそらくこのまわりに林立しているラブホテルのほうが、よっぽど立派なベッドを入れているだろう。部屋は確かに広かったが、こんなに密度のない空間は広いだけ虚しくなる。どう考えてもラブホテルのほうがグレードが高い。(といっても何十年も行っていない(笑))モダンデザインは誕生したそのときから老朽化という運命を背負っている。使えば使うほど味が出るようなことはない。だからこそそのメンテナンスや時代の変化に気を遣っていなければ存在できないのだと思う。このホテルの場合は経営者側のマネジメントの失敗だと思う。3月の東京は白金台のラディソン都ホテルを予約してみた。近々シェラトンの傘下になるそうだが、やはりあの品格は昨日今日できたものとはちがう。大都会での大資本のなせるビジネスだからだろうが、経営的なことはさておいても建築や内装デザインの質の高さはとても参考になる。もうしばらく揺れ動きながら内装について考えてみようと思う。
カフェ豆ミュージックno.5はキース・ジャレット

ザ・ケルン・コンサート

ザ・ケルン・コンサート

カフェ豆をジャズ喫茶にする気はないけど、カフェ豆にふさわしいジャズを選んで鳴らしていこうと思う。そうなるとやはり一番手はキース・ジャレット。ケルンコンサートでなくてもいいんだけど、やはりこの1曲目は欠かせないだろう。
じつはこのごろダブをよく聴いている。ジャズの名演をソースにして見事にファンキーにアレンジしたものや、SEをふんだんに入れこんでカッコ良くした曲など見事なものだ。でも虚しい。どんなにカッコ良くても、何度か聴くうちにすぐに飽きてしまう。最初聴くと身震いするほど「カッコイイー!」とは思う。けどあとには虚しい気持ちが残るのは何だろう。単に私がオヤジだから?そうかもしんない。でもこの刹那的な喜びはあのモダンデザインと似てはいないだろうか。出会い頭はカッコ良くてもすぐに見透かされる。いや、ダブという世界はそうしたものがどんどん交替していきながらひとつのムーブメントをつくり上げている。あとに残る残らないなんて鼻っから考えていない。考えていないからこそ新鮮な魅力がある。イルパラッツォの失敗はモダンデザインをほったらかしにしていたところだろう。消えてなくなることを前提としたものづくりは、日本の侘び寂びにまで到達しなければ、ただ単に虚しい残骸でしかなくなるのだと思った。カフェ豆ミュージックは若者の嗜好に迎合することなく、地に足の着いた音楽をセレクトしていきたいと思う今日この頃(笑)