カフェ豆は東古川町

今日はカフェ豆の敷金、礼金、3月の家賃と共益費を払って、契約書にサインをしてきた。あんなにたくさん1万円札を数えたのも久しぶりだ。いよいよ後戻りできなくなった(笑)。確かに照さんが言うように、大抵の人はカフェ豆開店計画を信じていなかったみたい。でもね、このブログを立ち上げるとき、こう思ったよ。会う度に理想を語っては一歩も先に進まない輩がいる。他人をやたら批判して、立派なことを並べて、結局自分は若い頃とさほど変わらない生活に甘んじているという人間だ。確かに若い頃だったら大いにけっこう。無茶もしなくては他人の痛みだってわからない。ただある程度歳をとっても相変わらず不平不満とできもしないというか、やる気もない理想を掲げるのはみっともない。そういうことでこのブログカフェ豆は、そんな悲しい大人にならないための予防線にしようと。ただ、実際に場所が決まらなければ、ただの絵空事の大ボラ吹きも同然なので、あまり書けないでいたのも事実だ。でもこれで何でも書ける。器は決定した。確かにその器がどこにあるのかを決めるのには心を砕いた。それでもそれほど右往左往したわけじゃない。楽しみながらあ〜でもないこ〜でもないと楽しんだ。そして結果はおそらくいいほうに流れたと思う。偶然というにはあまりにでき過ぎた今回の出会い。そしてこの1月6日からは、この場所の町名が昔の「東古川町」に戻ったというのもすごいことだと思う。カフェブームの昨今、ここ長崎でも現れてはすぐに消えていくカフェだが、この車一台がやっと通れるほどの東古川町通りには、昔からしっかり続いているカフェ、もしくは喫茶店がたくさんある。シャレた飲み屋やレストランや雑貨屋もある。長崎らしいのは日本で初めてできたラムネ屋さんがカフェ豆の2軒となりにある。江戸時代は歌舞伎座があって、一時期は歌舞伎町と呼ばれていたらしい。私が子どもの頃、このあたりは庭みたいなもので、ずらりと町屋が並び、なかには2軒の駄菓子屋があって、いつも入り浸っていたものだ。今でもそんな風情が残っているから、長崎の中でもかなり個性的な通りだと思う。かつて私の父が営んでいたお菓子屋「豆ちゃん」はここから200mくらいしか離れていない。そして豆ちゃんプロジェクトとして開店するカフェだから、やっぱりカフェ豆ちゃんの名前がふさわしいんじゃないかと思い直しているところ。ただこうした思い入れがどこまで通用するのかが全く見当がつかないので悩んでいる。cafe cocteauのほうがまだカッコいいし、他にもきっといいネーミングはできるんじゃないかとも思うのだが、ただ「40年ぶりにあの『豆ちゃん』が復活」というのもアリかなと。(あ、「豆ちゃん」の由来はブログ豆ちゃんのプロフィールをご覧ください)http://d.hatena.ne.jp/mame_chan/about
ま、そういうことで、失敗を恐れるのが大人なのではなく、実際にやっちゃうってのが大人なんじゃないかと常々思っていたわけで、かといって闇雲に突っ走るというのも大人げない話だ。しっかり現実をふまえながら、いくつになっても理想に向かい合っていくのが「オトナー」ってもんかなと。やりたいことを現実にしていく。「贅沢言わないから一生遊んで暮らしたい」という豆ちゃんの基本コンセプトは「きっと願いは叶う」ということだと思う。楽をしたいとか、贅沢したいとかではなく、ほんとに遊んで暮らすということがどういうことなのかを現実化したいと願っている。さあて、いろいろ忙しくなるぞ〜。
カフェ豆ミュージックno.2はブライアン・イーノ

Music for Airports

Music for Airports

いわゆるアンビエントとよばれるものの基本形。カフェ豆のBGMは完全に私の個人的な趣味に走ります。これだけは突っ走りまくりです(笑)。そのなかでも基本中の基本がこれ。このCD、まだ日本にそれほどCDが出回っていなかった頃。つまりレコード屋さんの片隅に数百枚ほどしかCDが売っていなかった頃、東京の西武美術館のショップにはきっとブライアン・イーノのCDがあるはずだと勝手に思い込んで、東京出張する当時の職場の先輩に無理矢理お願いして買ってきてもらったもの。あったね〜(笑)。アンビエントは聴きだすととてもデリケートな音なので、レコード盤だと、ホコリなんかのノイズがめちゃめちゃ気になってしまうので、これは絶対CDでしかありえないと思っていたから、これとアンビエント2(別名「鏡面界」)のCDを手にしたときはホント嬉しかった。そして今でもこのCD2枚は愛聴版だ。