またまたおひさしぶりです。

めちゃめちゃ忙しかったデザインの仕事が一段落して、このブログもまえみたいに更新できるかなと思っていたら、なかなかできない日々が続いております。この1月と2月はデザインの仕事最優先でやってきたので、それ以外のことを取り戻すのに、なんやかんやと走り回っています。それといったん更新するのが途切れると、思ったより更新がおっくうになるもんなんですね。今はツイッターがめちゃめちゃ手っ取り早くて、リアルタイムに伝わるから、どうしてもそっちのほうに流れそうです。でもツイッターはどこまでいってもツイッターであって、それ以上のことはなさそうですから、それなりにしとこうと思います。つまりこれに慣れてしまうと、なんだかとっても薄っぺらなことが当たり前な感覚になてしまうんじゃないかってことです。気軽で便利な部分だけきままに遊んでこそのツイッターかなと。
で、このカフェ豆ちゃんのブログは、カフェの情報はもちろんですが、それ以外のことについても、いろいろと書いてきました。だからはじめてこのブログを読む人は、いったい何なんだって思う人も多いでしょう。カフェ豆ってほんとにあるの?とかね。九州は長崎県長崎市のほぼ中央。観光地で有名な眼鏡橋から歩いて1〜2分のところにリアル豆ちゃんはあります。長崎のなかでも町屋の佇まいが残る数少ない風情ある通りの一角にあります。まわりにも町屋づくりの家屋を活かした個性的なカフェやレストラン、雑貨屋や骨董屋さんなどのお店が並んでいて、知る人ぞ知る隠れた観光スポットとして静かにブレイクしかけているところです。でもあんまりドカンとブレイクして観光客向けの通りにはなってほしくないなと思ってます。あくまでも長崎の歴史と文化を大切にしてここに住んできた人の暮らしぶりを大切にしなければいけないと思います。まちの主役はそこに住んで暮らしを営む人たちです。観光客のために過剰な案内板やあとづけの陳腐なネーミングやキャラクターなんて必要ありませんし、観光客だってそんなありきたりな観光スポットなんてうんざりでしょう。30年前に行った湯布院はほんとに素晴らしかった。でも今はうんざりです。そしてそれでもうんざりしないような人が全国から集ってきています。もちろん素晴らしいところはしっかりと残っているのですが、観光客の落としていく小銭目当てに、本来住んでいる人とは関係のないひとたちがまちをかきまわしてしまっているのでしょう。今、長崎もそんなふうになりつつあるようです。去年の龍馬ブームでの長崎の反応がそれです。そこに住む人たちの暮らしぶりを無視して、どうしたら観光客が喜んでお金を落としていくまちになるか。それが観光だと勘違いしたまま、まちが薄っぺらになっていってるように思います。長崎はよその人から見ても素敵なまちだとは思いますが、それは昔からそこに住んでいる人の暮らしぶりが素敵だからだと思います。べつに坂本龍馬がちょこっといたからだとか、グラバーが武器弾薬を日本に売りつける拠点にしたからではありません。長崎の人たちがつくりだした町の通りに、そんな観光客に媚びを売るだけのための名前を勝手につけないでほしいと思います。長崎というまちは、観光資源が豊富にあるとずっと言われてきました。それは歴史的にも特異な運命を背負わされたかのような経緯の中で、さまざまな表情をもつまちとして存在してきました。だからよそから来た人は、まちのいろんなところがとても珍しく、そしてそれぞれの歴史の深さに驚きます。もともとそんなまちなのですから、無理にイメージをつくったり、享けをねらったおかしな解説を押し付ける必要なんかないんじゃないかと思います。薄っぺらな観光政策によって薄っぺらな人が集ってくるまちにならないことを願うばかりです。ある方が言われました。「明治維新は日本の夜明けだというが、じゃあ、江戸時代は真夜中だったのか?」まさにここに薄っぺらな日本人の歴史観の刷り込みが暴露されています。明治維新があたかも素晴らしいことであったかのように、それは百数十年経った今でも、なんとなくそんなふううに伝えられがちです。でもグラバーは何のために長崎にやって来たのか、龍馬を動かして何をしたのか。それのどこが日本の夜明けなのか。長崎は日本の歴史の中でどういう役割を負わされたのか。長崎に来る観光客が、そうしたことをきちんと理解できるようなものをつくってほしいと思います。「軍艦島世界遺産に」という話もありますが、近代化遺産としての島である以前に、そこで繰り広げられた人権侵害の歴史も同時にきちんと伝えられなければいけないと思います。「観光」を観光客の消費行動だけに特化する考え方は、遅かれ早かれ破綻します。そしてあとにはみじめな残骸のまちが残るだけです。そこに住むまちの人が、自分たちのまちの歴史と文化に誇りをもって暮らすことができれば、何もしなくても素敵な観光地になるんじゃないかと思います。いつも思うんですが、「そんなに見たいんなら見せてあげてもいいよ」っていうくらいの素敵な暮らしができるまちには、いやでも観光客が押し寄せてくると思うんですけどねえ。