アートを活かしたまちづくり

 先日、長崎市が定期的に開催している「ちゃんぽんミーティング」に参加してきました。これは毎回いろんなテーマにそった市長との懇談会で、それぞれの分野で活動している団体や個人を募集して、ながさき名物のちゃんぽんを食べながら、ざっくばらんに「まちづくり」についての意見交換をしましょうといった催しです。それで4回目となる今回のテーマが「アートを活かしたまちづくり」。参加者は、現在自主的にアートに関係のあるイベントなどを企画実践して来られた方たちです。そこで、カフェ豆店主も、先日県展で西望平和賞を受賞したシバタさんを半分無理矢理誘って参加してきました。
参加者が多いのと、時間が短かったということもあり、それぞれのやっていることの紹介と顔合わせで終わってしまいました。でもあのまま時間を延ばしたにしても、あれ以上の話の展開はなかったでしょう。それはテーマである「アートを活かしたまちづくり」が、あまりにも漠然としていて、もともと話を掘り下げられるようなものではなかったように思います。 
 そこでその「アートを活かしたまちづくり」についてちょっとだけ考えてみました。というか、最初に「アートを活かしたまちづくり」って聞いて、一体なんだろうと思ったからです。よくわからないというのが正直なところです。いや、もちろん言葉の意味するところと、おおよそどんな話の展開になるのかは想像はつきまましたし、やはり想像どおりの展開でした。そうではなくて、つまり、そもそもアートを活かしてまちづくりができるものなのかどうかといった素朴な疑問がどう考えても払拭できないのです。というより、それ以前に「アートを活かしたまちづくり」を誰がやるのかってことです。市役所の人たちがやるんでしょうか。アートを活かしたっていうくらいだから、アーチストがやるんでしょうか。まちづくりをやりたいアーチストっているんでしょうか。そうは思えません(笑)。では、「アートを活かしたまちづくり」をいったい誰が何のためにやる必要があるのか。そしてその答えを誰が出せるのか。そんなことを真剣に考えているような人たちがいるのかどうか。いきなり謎は深まるのです。そこで「アート」という言葉と、「まちづくり」ということばについて、別個で考えてみました。

「アート」について
 明治以降、日本で美術と呼ばれていた絵画や彫刻が、いつのころからか、そのほかのいろんな表現方法も含めてアートと呼ばれるようになりました。まあ、江戸時代までは美術という言葉さえ日本にはなかったのですから、美術とアートの意味にたいした差があるわけもないのですが、今の若い人にとっては、美術よりもアートという呼び方の方がしっくりくるのでしょうし、「美術」というのは学校の教科の名称ぐらいにしか受けとっていないのかもしれません。これは単に呼び方が日本語が英語になったというだけではなくて、それを指し示すものやイメージまでも変わってきたのだろうと思います。アートという呼び方には、美術と呼ばれてきたものほど深い精神性を感じさせるようなものは少ないような気がします。まちのなかにアートと出会える場所はあっても美術と出会える場所は少ないのではないか。むしろ古い建物や伝統的な祭りのなかに芸術性を感じる場合が多いようです。私のような年齢の者からすれば、アートという呼び方には、芸術がなにかしら薄っぺらなものとして扱われるようになったような気がします。たしかにそれまでの美術に対する重々しいイメージや、いかにも権威ありげな装いを見せてきた日本独特の画壇制度の歴史が時代にとり残された結果ということなのかもしれません。芸術作品や芸術運動を誰もが「アート」と呼ぶようになったのは、この40年ほどのことではないでしょうか。いわゆる現代美術というものが、じわじわとポピュラリティを獲得してくるのと重なります。それまではダダイズムとかスーパーリアリズムとかいう◯◯イズムだったのが、◯◯アートといういろんな方法論が出てきました。ミニマルアートとかコンセプチュアルアートとか。で、パフォーマンスとかコラボレーションなんて言葉も30年ぐらい前には盛んに使われるようになり、これらみ〜んな含めてアートっていうふうに呼ぶようになったんですね。だからAKB48のステージングだって、政治家のくだらない猿芝居だってパフォーマンスと呼ぶようになりました。それにしても昨今の「アート」という言葉の使われ方には違和感があります。つまり芸術がそれを取り仕切る権威から解き放たれて自由になったのとひきかえに、その反動なのか、あまりに軽々しいイメージで語られるようになってしまったような気がします。夜中の繁華街のシャッターの前でギターを弾きながら情けない歌を叫んでいる若者も、自分のことをアーチストと言ってはばからなくなりました。ちょっとした個人的な気持ちの表現がすぐに「アート」と言われてしまう。というかそう思い込んでも許されてしまうような空気。自分が生きている社会での「生きにくさ」によって押しつぶされそうな気持ちを、アートという表現形式によって保とうとする若者は、なにも今の時代になってはじめて出てきたわけではないのですが、いわゆる自己表現とアートの区別がつかないというか、苦しさや虚しさをまぎらわすためにふと描いた絵が自分の気持ちを解放してくれたとか、誰かがその絵を気に入ってくれたとか、その程度のことでそれが芸術だとまでは思わなくても、アートと言い切ってしまえるほど軽いニュアンスで使われているように思えます。つまり世の中がたとえうわべだけであろうと、そうした表現に何かしら反応してくれる。ネットで作品を公開するだけで、見ず知らずの人が共感の言葉をかけてくれる。さらにもうひとつたちが悪いのは、それが自分の内面的なものを表現したものであるにもかかわらず、その作品は流行ものの形式をなぞっただけである場合が多いということです。オリジナリティのない自己表現という滑稽な作品を、それだと気づかないまま発信し続けているものも多く見かけます。私が違和感を感じるという今の「アート」という言葉の使われ方には、そうした本来の芸術から遠く離れてしまった脆弱な精神性が寄り添っているような気がするからです。もちろんそれは現代が芸術の生まれにくい時代だというような安直な考えにたどり着くものではありません。芸術活動はどんな時代にも、そこが激しい戦闘状態でないかぎり存在してきました。美術がアートという呼び方に変わって、時代によってその指し示すものが変わり、目指すものさえ変わったとしても、人間が高い精神性を求めて生きていく限り生み出されていくものだと思います。本来、芸術は社会批判の道具でもなければ、富裕層のステイタスでもありません。もちろん機能的にそんな使われ方をした時代もありましたが、今の時代、芸術が何かの目的のための手段であってはならないと思います。当然、アートがまちづくりの手っ取り早い道具でいいわけがありません。

「まちづくり」について
 さて、今回のテーマである「アートを活かしたまちづくり」ですが、そもそも「まちづくり」という言葉にも多少漠然とした違和感を持っています。それは自分でもよくわからないのですが、印象だけでいえばどこかウソっぽい響きがあるということでしょうか。過去に日本の多くの行政機関が、行政主導のまちづくりのために、中央のコンサル会社に莫大なコンサル料を支払って企画書を依頼していました。そもそも地方の行政機関にとって中央のコンサルなんて得体の知れない存在でした。その中身はというと、多少まちの実態調査のようなアンケートグラフと、そのまちの特徴や特産物を付け加えて、あとはまちの名前を差し替えたどうとでもとれるような企画書を渡される。「あとはこれにもとづいてまちづくりを進めてください」という信じられないような商売がまかりとおっていました。まったくちょろい商売です。ちょうどバブルのころです。で、そんな企画書が何の役に立ったかは推して知るべしでしょう。福祉のまちづくり、教育のまちづくり、産業のまちづくり、観光のまちづくり、おもてなしのまちづくり、男女共働のまちづくり、歴史文化のまちづくり…それは政治家の選挙用パンフレットとひとつも変わりません。それらしい美辞麗句が並び、日本全国どのまちでも通用するような「まちづくり」が金太郎飴のようなコンサルの企画書によって浸透していきました。日本全国似たような文化や福祉や教育のための箱ものが建てられ、美しい自然の海岸線がコンクリートで固められ、里山がダムの底に沈められ、山を削って道路が張り巡らされ、橋がかかり、いままでよりほんの数分早く移動できるための新幹線が長崎にも伸びてこようとしています。広大な畑地にはびっくりするほど巨大なスーパーマーケットが建ち並び、昔からの商店街が消え、コミュニティが崩壊し、豊かな自然があった山間部が切り拓かれて新興住宅地が整備され、日本人の食生活を含む生活様式が、歴史文化の背景がまったく違うアメリカ型に変貌しました。そうした一般市民の生活様式の中で、いったいアートがどんな機能を果たしえるのかという問題は、そうとう難しいものだと思います。
 ひとつ具体的な例をあげますと、かつて長崎市では「彫刻のあるまちづくり」という、数年間に渡って著名な彫刻家による作品を公園や大きな通りに設置するという事業が展開されました。はたしてその彫刻が市民に受け入れられているのか、まちづくりになにかしら貢献したのか、これははなはだ疑問です。それはその彫刻自体が問題なのではなくて、その彫刻が置かれている環境の配慮がまったくされていないのではないかといったことが問題なのだと思います。今となっては、それぞれの彫刻作品があの場所に必要だったのかどうか、そうしたことの検証をする機会さえありません。
いま、アートの解釈が大きく変わりつつあります。地方都市におけるまちづくりのかたちも大きな岐路を迎えていると思います。もちろんまちづくりにアートが貢献できる可能性もあるでしょう。ただそれは、今の時代でのアートが何をなし得るのか。そして今の時代のまちづくりとは何を目指しているのか。そのあたりからしっかりと検証し、まちづくりの主役であろう市民同士のコンセンサスをしっかりとらなければならないと思います。そして安易にアートとまちづくりを結びつける発想こそ戒められなければならない姿勢であると考えます。
 さてさて「アートを活かしたまちづくり」は誰が何のためにやるのか、やれるのか、やれないのか、それでいいことあるのかないのか、それ以前にアートって一体何なのか、そんなことのコンセンサスがはたしてどれだけの人たちにとれるのか、まったく検討がつきません。
 
でもね、ちょっとした腹案はあるんです。つまり長崎にとっての「アートを活かしたまちづくり」はこんなふうにすれば凄いことになるかもっていうような。でもアーチストの人たちとそんなことを話しても何も生まれないでしょう。アーチストはアートをしたいのであって、まちづくりをしたいわけではないからです。そう、結果としてそれがまちづくりになればいいけど、なにもそんなことに足を突っ込んでる暇は、ほんとのアーチストにはないでしょう。もっと言えば、広告代理店とかイベント会社のプランナーの仕事ですよ。ただ、まちづくりのことも、アートのこともよ〜く知ってて、まちの特色や、そこに住む人々の性格もよく知っている人がプランしていかないとできません。今みたいにやりたい人がやりたいことをボツボツ別個にやっていたんではまちづくりはできないでしょう。今回「ちゃんぽんミーティング」に参加してわかったことは、「アートを活かしたまちづくり」はそうとう難しいぞってことでした。
その腹案ていうのは、また別の機会に。