被爆都市ナガサキから平和都市ながさきへ

いま長崎ではいろんなイベントで街中が賑わっています。今日は8月9日。平和記念式典があたりまえのように開催されます。いつものように、いつものような方々が長崎を訪れ、炎天下の平和公園で平和への祈りをささげます。それは関係者のレセモニーと言ったら言い過ぎでしょうか。いえ、あのセレモニーがどうとか言う気はありません。ただあのセレモニーに参加する立場にない多くの長崎の人たちは、毎年どこでどうしたらいいかわからないでいるというのも事実です。原爆って何だったんだろう。悪いのは誰だったんだろう。あるいは誰かが言うように「しょうがない」ことだったのか。
先日、わけあって平和公園に行ってきました。べつに写真をとるつもりはなかったのですが、ちょっと面白かったんで平和祈念像の顔を撮ってみました。みなさんご存知でしょうか?この平和祈念像のモデルはプロレスラーの力道山だってこと。これをつくった北村西望は実際に力道山銅像もつくっています。でも力道山より誰かに似てるよな…と(笑)。

ま、それはともかく、どうして平和の象徴とされる像のモデルを人気娯楽格闘家にしたのか。そしていかにも腕力を強調するようなマッチョな男を原爆で亡くなられた多くの御霊を慰霊するモニュメントとしたのか。また、どうして長崎市は戦時中に戦争を美化する作品を多くつくっていた作家に平和のモニュメントを依頼したのか。あの像の眉間には、なぜ仏像の白毫があるのか。あれって仏像なの?市の予算で仏像つくっていいの?などなどこの像にはいろんなわからないことがたくさんあります。そしてあの像の芸術的価値を認める彫刻家がほとんどいないことをみなさんご存知でしょうか。人によっては「日本彫刻界の恥」とまで言い切る彫刻家だっているそうです。私が言ってるんじゃないですよ(笑)。
なんとなくあの平和祈念像が昔からあそこにあるものだから、なんとなくあれが長崎の平和の象徴であるかのように、なぜかあの像の前で毎年慰霊のセレモニーが行われています。広島での平和記念式典は世界遺産にもなった原爆ドームを望むように慰霊碑があり、その前で毎年平和記念式典が行なわれています。なぜ長崎では原爆落下中心地碑ではなく、あの銅像の前で祈りを捧げるのでしょう…と昔から不思議に思っていました。長崎は被爆して崩壊した浦上天主堂をさっさときれいさっぱり撤去してしまいました。まるで何事もなかったかのように。かわりに建てられたのがあのしょうがない銅像です。崩壊した浦上天主堂を残していれば、今ごろはまちがいなく世界遺産になったでしょう。原爆の悲惨さからはやく立ち直りたい、もう忘れたい。きっと当時の方々のそうした思いからだったのでしょうから、それこそしょうがなかったのかもしれません。ただ、いま、いまの時代だからこそ、世界中から被爆地長崎に訪れる人たちに、ここが原爆が落とされたまさにその場所であって、それによってとんでもない数の人々が一瞬に跡形もなく消えてなくなり、とんでもない数の人が苦しみながら死に、その何倍もの家族の方たちが肉親の不条理な死を背負いながら生きていかなければならなかったことを伝えるべきところだと思うのです。そしてそのとき自分だけ生き残ってしまったことに最期まで自分を責めながら生きてきた方もたくさんいらっしゃいますし、今もいらっしゃいます。そうした方たちの苦しみの象徴が、あの像であっていいのかどうか。きっと今日の平和記念式典の様子が、日本中にメディアにとりあげられ、あの像が映し出されるでしょう。
普通に考えて、原爆落下中心地にそのモニュメントがあるのだから、平和記念式典はその場所でやるのがスジなのではないかなと思うのです。ただ原爆落下中心地公園は、おどろくほど狭いです。もうひっくりかえるくらい貧相な公園です。こんなんでいいのか?っていつも思います。おまけに中心地碑の横には気持ちの悪い巨大な母子像が立っています。さらに言えばこの気持ち悪い像が原爆落下中心地碑の場所にこっそり立てられようとしていたくらいです。これは私だけが「気持ち悪い」と言っているのではありません。長崎の美術関係者だけでなく、それこそ長崎のおおかたの人が言っているし、つい先日亡くなった美術評論家連盟会長だった針生一郎氏も「芸術的価値は皆無」ときっぱり言い切っているんです。針生一郎さんといえば日本美術界屈指の巨人です。
http://www.nihonshinju.com/archives/2006/08/post_12.html
針生一郎さんとは学生時代に一度、一方的に会ったことと(笑)、それこそ母子像問題の裁判で長崎に証人として証言しに来られた時にお会いしました。生きていらっしゃるときにすでに伝説の方でした。その方が平和祈念像も母子像もいちはやく撤去すべきだと力説されていたことを思い出します。
でも当時の長崎市長は、署名活動だろうが、裁判を起こされようが、頑としてこの像を撤去しませんでした。あの像って、1億4700万円の税金が使われたんです。市民のほとんどが望まなくて、市民から反対署名もされ、裁判まで起こされて、「芸術的価値は皆無」とまで烙印を押された像にもかかわらず、なぜか平和祈念像の作者の弟子と随意契約によって、市民の税金1億4700万円が使われちゃったんです。なんだかな〜って思うでしょ。そんな1億4700万円の像の顔がこれ↓。

1億4700万円あれば、昨日東京でコンサートやったスティーヴィーワンダーに長崎に来てもらって、長崎から平和を訴えてもらうことだってできるでしょ。いやべつにそんなお金がなくても、長崎からそんなメッセージを発信できれば、スティーヴィーはきっと長崎に来てくれるでしょう。そして世界中の人が長崎と広島の原爆投下について、核兵器について、人類が繰り返して来た暴力について、そして今も世界中で起こっている戦争や暴力についての思いを訴えることができるでしょう。それができればスティーヴィーに続いて日本だけでなく世界中のアーチストが長崎に来てくれます。福山くんが長崎に来るなんてどころの騒ぎじゃなくなる。長崎から本当の意味での平和を訴える、そんな場所になるんじゃないかと思うのです。税金をそんなふうに使ってくれるのなら、喜んで払います。あんな銅像立てるための税金なんて払いたくないですよね。
そんなこと言っても理想論だろ、きれいごとだろ…って思う人もいるでしょう。でも口先だけで、つまり安全な雲の上から好きなこと言うだけで飯食ってる評論家が大嫌いな私は、こんなことでも口先だけには終わりません(笑)。
 
で、長崎にスティーヴィーワンダーに来てもらうという夢のような話は、単なる絵空事かっていう話ですがね。
たとえばの話、「長崎で世界規模の平和を共通テーマとしたアートコンペフェスティバルを開催したい!」
◎「長崎ピースアートトリエンナーレフェスティバル」というアートコンペを開催する。
◎運営母体は実行委員会形式
◎全世界のアーチストを対象に、平和をテーマにしたアート作品を公募する。
◎1次審査はネットによる企画書での応募で無料。約4万点程度を想定。
◎2次審査で、当選作品1000点に絞り、さらに当選者に対して具体的な企画書を応募料1点1万円で募集する。
◎3次審査では100点に絞り、この100点の作家に作品のミニチュアを制作してもらい、主催者に送る。主催者は、100点のミニチュアの展覧会を開催し、入場者およびネットで公開して、一般審査を行う。また公式の審査員は5名。美術関係者に限らず、たとえば立花隆村上春樹小澤征爾など、現代に多大な影響を与える文化人に依頼する。審査料は、シンポジウム出席と講評執筆料も含めて1名につき200万円(開催意義に賛同していただいてのボランティア的価格設定)。
◎4次審査で5点の入賞作品を選出。アーティストインレジデンス方式で、選ばれた5人の作家に長崎に2ヶ月間滞在して作品制作をしていただく。もちろん、そのための交通費、宿泊滞在費、作品制作のための材料費および制作場所は主催者が負担する。
◎選ばれた5人の作家は制作期間の2ヶ月の間に、テレビ局によるドキュメンタリーを制作。
また、作品やアート全般についてのシンポジウムや子ども向けのワークショップおよびデモンストレーションなどのイベントに参加する。作品制作の過程は誰にでも見ることができるように公開する。
◎最終的に長崎市やスポンサーが提供する会場に作品を設置し、審査員の審査とあわせて、一般の人たちがネットでも審査できるようにする。審査状況はコメントも含めてリアルタイムにネットで公開する。
◎5次の最終審査でグランプリを決定し、受賞者には1000万円の賞金。ただし、完成した作品は長崎市に寄贈するが、版権・著作権等は作家に帰属し、作品公開によって得られるギャランティを作家に保証する。
◎グランプリ授賞式を兼ねた展覧会オープニングイベントを8月9日に開催。世界的に著名なミュージシャンを招聘して開催する。たとえばスティーヴィー・ワンダーポール・マッカートニーなどの超ビッグネーム。またこのとき彼らと共演したい日本のミュージシャンを打診し、ノーギャラで出演していただく。たとえば福山雅治氏、桑田佳祐氏など。こうした超ビッグネームの出演だからこそマスメディアが動き、大企業のスポンサーがつき、日本中の人々が長崎と世界平和について興味を抱くことになる。また、長崎から発信するこれからの時代の平和のメッセージであることを理解していただき、スタッフもボランティアを全国から募集する。
◎このイベントの公式スポンサーを公募し、個人から大企業まで、あらゆる規模の広告料は運営費にあてる。たとえ少額でもスポンサーの名前(希望者)をすべて公表する。
◎イベント全体のドキュメンタリーの制作・放映権を販売する。
◎作品の図録およびドキュメンタリーのDVDを販売し、収益は運営費にあてる。
◎運営費はスポンサーの広告料やドキュメンタリー放映権、図録販売や展覧会やシンポジウム、その他の記念グッズ、記念イベントの入場料の収益をあてる。
◎このイベントはトリエンナーレ形式で、3年に1度行う。
◎その後、実行委員会は12年ほどの実績と経験を積み上げたあと、最終的に「長崎原爆落下中心地碑の世界コンペティション」を実施する。
 
こうして、長崎は本当の意味で世界中から平和への願いを携えた人々が集い、長崎からそのメッセージを発信し、そして様々なかたち(アート、写真、デザイン、詩、文学、ダンス、音楽、映画、建築などなど)で平和への誓いを世界中へ向けて発信する。そして最終的に、世界中から寄せられる何十万という数の「長崎原爆落下中心地碑」のアイデアから、いちばんふさわしいと思えるひとつを世界中の人の投票によって選び出し、爆心地公園に立てる。こうやって立てられたモニュメントをどこの誰が批判するでしょう。反対署名運動が起きるでしょうか。裁判を起こされるでしょうか。「芸術的価値は皆無」という人がいるでしょうか。これを実施するのに、あの母子像に使った1億4700万円があれば本当にできるんです。あの気持ちの悪い銅像ひとつを立てる税金があれば、こんなことだってできるんです。
 
ざっとこんな感じです。もちろんこれは考え方の例として挙げたことだし、これがすぐさま現実的にどうにかなるとは思っていませんが、単なる絵空事で終わらない道筋をつくるのが大人ってもんだと思います。多くの方の少しずつの理解と応援と努力があれば、ほんの小さな可能性でも現実として歩んでいけるのだと思います。そしてこれからの私たちにできる平和運動とは、組織の動員だからっていやいや観光旅行がてら出かけるのではなく、8月9日11時2分に黙祷し、後世にあのときの悲惨を語り継ぐことも大切だけれども、こうした未来への思いをつないでいくことを、みんなでやっていくことだと思います。

先日30年間の美術に関わってきた自分の足跡を個展というかたちで一区切りつけました。これからはこれからの自分に何ができるかを探りたいと思っています。そしてそれは自分ひとりが何かをやるというのではなく、どこかの誰かが何かをつくるというのでもなく、個人を出発点としながらも、さまざまなカタチで可能なコミュニケーションを基盤としたアート。これは新しいとか古いとかいった価値観ではなく、もともと誰にでも存在する心の奥底にあるもののつながりを具体化していくという試みです。長崎の新しい原爆落下中心地のモニュメントを世界中の人々の願いがつながるという行程を踏みながら完成させていくというアート。そんなものが長崎の中心にできたなら素敵だとは思いませんか?
 
そこで、いつにも増して長い文章を、ここまで読んできてくださったあなた(笑)。今日は是非この件についての意見と言うかコメントをいただければありがたいです。もちろんハンドルネームでほんの一言でもいいです。何かしらのリアクション、もしくはコミュニケーションによって、ほんのちょっとでも前に進むことができれば、毎年訪れるであろう8月9日が、沈痛な一日ではなく、希望に満ちた長崎の日になるのではないかと思います。被爆都市ナガサキが平和都市ながさきへと飛翔することを願ってやまない被爆二世のカフェ豆店主でした。コメント待ってます、ホントに!m(__)m