自由について

今日は月曜日でカフェ豆は定休日です。そして明日はちょっと遅いお盆休みということで、お休みさせていただきます。年に2度、お正月とお盆には定休日以外にそれぞれ1日だけお休みさせていただいています。それとデザインの仕事が忙しくて、どうしてもお店の営業ができなかったときが3度ありました。めったにないですがカフェ豆の臨時休業はそれくらいです。それ以外は月曜定休でいきたいと思っていますです。
借りていた「さよならCOLOR」のDVDを見ました。よかったです。ほんのちょっとしたシーンにすごく有名な役者さんがたくさん出ていたのにビックリ。忌野清志郎さんや中島みゆきさんもちょい役。三浦友和さんや大谷直子さんや片桐はいりさんや吹雪ジュンさんもほんのちょい役。めちゃめちゃ地味な映画ですが、ある意味贅沢な映画なのかもしれません。いっしょに借りた「地球が静止する日」の何十倍もよかったです。っていうか比べるのが失礼ですね。おすすめです。
この映画の中で「自由に生きる」という言葉が出てきました。自由…って何だろう?と50歳になった今でも考えます。板垣退助が言ったとされる「板垣死すとも自由は死せず」という言葉が自由民権運動の象徴のように語られてきましたが、じつは板垣自身が暴漢に襲われて叫んだのは「医者を呼んでくれ」だったそうで、「板垣死すとも自由は死せず」はあとからもっともらしく語られたのだそうです。亀山社中の場所も龍馬の刀傷もそうやって都合よくねつ造されてきたんですね。話がそれましたが、自由。昔、私が高校生の頃、いいなあと思う絵にであった時は必ずそこに「自由」を感じたものです。「ああ、人間というのはこんなにも自由なんだ」高校生の私は絵を描くことの中に、そうした腹の底から沸き立つような高揚感を感じていたのを覚えています。そのころから優れた美術作品は理屈抜きで見るものの心を桁外れに解放してくれるのだと思っていました。今思えばそれらはいわゆる抽象表現主義だったりシュールレアリズムの絵画だったりしたわけで、逆にそれらは当時20世紀前半のあいつぐ戦争によって抑圧された社会体制からの脱却という思想的な表現だったからこそ、そのように感じたのかもしれません。その後、さまざまな表現形式を知ることになってからは、必ずしも「自由」が普遍的な絵画表現のキーワードではないこともわかりました。今でも趣味で絵を描いている方の中には、自分の思うままに自由に描くことが芸術だなどと思い込んでいる人もいますが、それは趣味だから許されているだけの話であって、「好き勝手」と「自由」はまったく別物でしょう。自由って今でも凄い言葉だなと思います。でもいまだによくわからない。もちろん「好き勝手」とは違うことはわかるし「意のままにできる力」というのでもない。もしかしたら学生運動が盛んだったころの当時の学生さん、いわゆる今でいう団塊のおじさんおばさんにとっては自由について一家言あるのかもしれません。自由って理屈ではなくてひとつはある種の開放感のような感覚なのかなとも思います。何らかの抑圧からの解放によって相対的に自由を感じたり、課せられた仕事を達成できたときに感じる達成感のようなものも「自由」に似ているのかもしれません。仮に自由を得たとして、自由だと幸せか?っていう疑問もあるでしょう。そうですね「自由と幸せ」の相関関係みたいなものがはっきりしてくるといいのかもしれません。でも、でもですね、人の生き死にに関する運命的なものの前には、自由なんてひとたまりもないわけで、この「さよならCOLOR」という映画は、そのへんの切なさやりきれなさ、そして同時にそんな世の中の素晴らしさをうまく表しているなと思いました。