今日から吉田敬三写真展

いま「吉田敬三写真展 希望―自主夜間中学で学ぶ―」の設営が終わりました。



一枚一枚パネルに紐を結びつけ、ピクチャーレールにつり下げたワイヤーにとりつけていくうちに、何かしら感動のようなものがわき上がって来ました。これまで、絵画、彫刻、イラスト、写真、工芸などの企画展を開催してきましたが、今回の写真展はちょっと意味合いがちがっていると思いました。つまり写真の芸術性を見るのではなく、写真と言うメディアによって伝えられるこれまでは知りえなかったものやこと、そしてそれもひとつのコミュニケーションとして、見るものの心を動かすのだとあらためて思いました。写真の造形的な美しさよりも、そこに記されている現実の姿を伝えることも、ひとつの表現であり、もちろんその画像の意味するところから、さらに見る人にとっての世界や人生や生命や時間や、その他さまざまなことをもう一度振り返らせるほどの力が写真には、いやカメラを手にした一人の人間にはあるのだと思い知らされました。写真家吉田敬三氏が追い続けるテーマは、中東や東南アジアで戦争に巻き込まれた子どもたちや、日本のホームレスや、被爆二世や自主夜間中学の人々です。苦境に屈しそうになりながらもたくましく生きていこうとする人々のありのままの姿が、きっと吉田さんをここまでたくましく精力的に活動を続けさせているのではないかと思いました。たとえば、今回の企画展は自主夜間中学なのですが、その写真のコメントにこうしたくだりがあります。
『「子どもの入学式や参観日に行ったとき、自分の名前が書けず家に帰ってから涙が止まりませんでした」「町工場で一生懸命にはたらきました。でも文字を知らないので日報が書けず、何度も転職を繰り返しました」「私は足し算しか知らず、製品を勘定するのに時間がかかっていました。自主夜間中学でかけ算を習って、あっという間に計算ができるようになりました」
 これは遠い国の話ではなく、日本の今の姿だ。文部科学省の学校基本調査報告には義務教育就学率が99.98%とあるが、残りの0.02%に思いを寄せたことがあるだろうか。「文字はいのち、学校はたから」を合い言葉に自主夜間中学を運営しながら公立の夜間中学増設を願う人たちが全国にいることを知ってもらいたい。』
絵画や彫刻や工芸にはありえない現実の社会的なメッセージとともに、その向こう側にある生きることへの愛憎が見えてきます。写真のもつ伝達能力と写真家の力量というものを思い知らされました。そしてまた徹底して現実に挑む姿勢が、吉田敬三氏の写真をより説得力あるものにしているのだと思いました。カフェに展示するには少々重すぎるのかもしれませんが、ここはあえてカフェ豆らしさということで、是非多くのみなさまに足を運んでみていただきたいと思います。写真に添えられた吉田氏のキャプションもまた読み応えのあるものとなっています。「吉田敬三写真展 希望―自主夜間中学で学ぶ―」今日から今月31日(日)までの開催です。
 
今日8月6日は世界で最初に被爆地となった広島の日です。そしてもちろん9日は世界で最後の被爆地でありたいと願っている長崎の日です。聞けば、今日の午前8時15分、広島での記念式典の中継をしていた民放のキー局は1局だけだそうです。ほとんどが朝のワイドショーの時間帯だというのに、黙祷どころかまったく関係のない話題で番組構成をしていたそうです。情けない話です。