カフェ豆はカフェですよ〜(笑)

このところ企画展やイベントの話ばっかりで、カフェの話題を取り上げていないことに今ごろ気がつくカフェ豆店主です(笑)。当然ですが、カフェ豆はカフェですから、コーヒーやスイーツなんかでまったりするところです。展示作品がどんなに凄くても、コーヒーを飲みながら読書したり、お友達とおしゃべりするのはもちろん、会議や貸し切りパーティも対応します。ちなみに月に何度かは貸し切りだったり、貸し切りとまではいかなくても10名程度の会議でお使いになるお客様もいらっしゃいます。ご遠慮なくご相談ください。
明日のランチはボローニャ風ミートソースパスタです。それといつもの手づくりパンとサラダとコーヒーで980円。プラス50円でコーヒーをラテにもできます。カフェ豆はイタリアレストランのシェフや日本料理店のご主人のおすすめのお店になっているようで、今日も○○のシェフから「ここのコーヒーがピカイチときいて来ました」というお客様。で、私はというとその○○というお店に行ったことがない、というかお店自体を知りませんでした。「自分の店でもマシンでエスプレッソをいれるけど、あそこのコーヒーにはかなわない」とまで言ってくださっているそうです。このようにシェフや店主自らお奨めしていただいているありがたいお店が数件あるようです。うれしいですよねえ。ということで、プロの料理人お墨付きのカフェ豆のコーヒー。その評判を裏切らないように頑張ります。おそらくマシンも豆も申し分ないと思います。あとはバリスタの気遣いと腕ですね。豆の管理やフォーメーションを丁寧にしっかりやること。おいしいコーヒーって、一口飲んで目を丸くするくらいおいしいものなんです。それを通常のカフェの価格で出せるかどうかがカフェ店主の腕なんですなあ。ふたたび初心にかえって頑張ります。
 
先週末の「長崎クリエイターズパーティ」の熱気も冷めないうちに、カフェ豆店内は「石川ハミ作品展」がはじまりました。今回の石川ハミ作品展は、これまでの茶器や花器、香炉といった作品とはかなり様相が違います。工芸品ではなくアートと言い切っていいと思います。すでにハミさんの作品を知っている方が来られても「おっ」と驚かれます。なかにはハミさんの作品はどこにあるんだろうと探される方さえいらっしゃいました。目の前全部がハミさんの作品なのにです(笑)。まあ、それほど今回の作品はこれまでとちがったものだということでしょう。そして今回の作品もまた石川ハミさんらしいものだと思います。もしかしたらこれまで以上にハミさんらしいのかもしれません。でもハミさんご自身は「何かにつくらされたと言ったら横柄に聞こえるでしょうか。でも今回は自分がつくったというよりも、何かの力によってつくらされたとしか思えないんです」と謙虚におっしゃいます。それは私のようなものでもよくわかるし、もっといえばそうした気づきがあってこその作品としての昇華だと思います。個人主義が一般市民のニュートラルな考えであるかのようになった20世紀のアートシーンのなかで、自らのはらわたを見せるかのような自己表現がもてはやされた時代がありました。個人主義はいつのまにか利己主義と見分けがつかなくなり、アートシーンはこれでもかというほど互いのゲロの見せ合いをして感心しているようなこともありました。確かに20世紀前半などには、そうした実験的な表現が有効な時代があったかもしれません。今や時代は21世紀となり、そうした熱病のような自己表現フリークが何の意味もないことを、少なくとも表現者はとうの昔にその肌で感じ取るべきだろうし、表現方法や素材の目新しさだけに気を取られるようなことでは何も生まれないのは確かです。本物と偽物のどこに違いがあるかといえば、何が作品を生み出すのかを理解できるかどうかではないでしょうか。いつまでたっても「自分が何かをする」ということにこだわり続けていては何も生まれない。そう思います。個人主義。それは人権を尊重する思想であって、わがままが容認されるご都合主義とは違います。そして個人が個人として確立したときに何をすべきなのか、という問いかけこそが大切なのだと思います。自己は他者によって初めて確立される。簡単に言えばお互い様ってことですね(笑)。

今回の石川ハミさんの作品は「その手に振り上げた石を地に下ろし、平和の祈りを捧げよう」ということです。まさしくチベットの抗議行動から世界中へ発覚した中国政府の弾圧・殺戮政策に対するメッセージでもあり、ひいては暴力や侵略のない世界への熱い想いでもあります。是非、カフェ豆で直にご覧いただきたい。そしてそれが世界と自分について考える時間となっていただければ嬉しいかぎりです。