別れと出会い

cafemame2008-03-25

春は別れと出会いの季節。あっけらかんとした青空に足元をすくわれるような切ない思いを感じる季節でもあります。去りゆく人、出会う人、何とはなしに急がれているような気持ち。4月になればまた違った風が吹くのでしょうが、3月はずいぶん暖かくなったとはいえ、なんとももの悲しさの入れ混じった切ない風が流れています。夕べ、まち中を歩いていたら、抱えきれないくらいの花束を持ったおじいさんが一人で歩いていました。きっとどこかを退職しての送別会の帰りだったのでしょう。そんなに花束を抱えているんだから、だれかと一緒だったり、もしくはタクシーを拾って帰ればいいのにと勝手に思いましたが、人ごみの中にひときわ孤立しているかのようなその姿にちょっと考えさせられました。歳はもう70をとうに越した様子。まわりには華やかに着飾った若者たちが騒々しく行き交うなか、肩を落とし、うつむき加減にひとりで歩く後ろ姿。両手に持った大きな紙袋いっぱいに花束をつめこんで歩く姿はお酒に酔った足取りでもなく、まだ夜の9時を回ったくらいなのに、これから誰かとどこかに行くような様子でもない。きっと真面目一本でこれまで何十年も働き続けてこられたんだろうになあ、などと勝手に想像したりして。出会いと別れ。それは人によっては社会人として存在していた自分との別れでもあったりするのですね。たとえば10年間、毎日ほとんど変わらない生活を続けている人もいます。変わることが必ずしもいいことだとは思いませんが、変わろうと思いながらも変われないで5年、10年と人生を過ごすのは寂しいかもしれません。たとえば60歳で定年を迎えるサラリーマンだと、社会人としての人生は約40年ですから、10年というのは社会人としての4分の1にあたります。大人になって4回10年を過ごせば社会から保護される立場になるわけです。私の場合はあと10年(笑)。考えてみれば、すでに10年を3回過ごしてきた。のこりはあと1回。もちろん一般的な尺度での話ですから、私は60で引退するつもりはありませんけどね。こうしてみると人生は短い。すでに肉体的にはそうとう衰えている(笑)。これから10年間、つまり社会的に労られる立場の年齢になるまでに、まだまだどんどん変わっていこうと思います。というか変わっていくだろうと思います。それが進化かどうかはわからない。でも変わっていかないことにはあっという間に何もできずに人生を終えることになりはしないかという強迫観念のようなものさえあるわけです。よっぽどのことがない限り、何をしても10年、何をしなくても10年が過ぎていく。たとえできなかったにしても、何かをやってきた自分であってほしいとの思いが、今の自分を支えているのだと思います。進化かどうかはわからないが、常に変化していくカフェ豆も、始まってまだ半年。もう半年経ったのかとも思います。きっとこうしてバタバタしながらあっという間に10年が過ぎるのでしょう。なんとか10年間、カフェ豆を基点にいろんなことをやっていきたいと思う店主でございます。どうかよろしくお願いします。
 

夜のカフェ豆の様子。

私の馬の作品シリーズを2点だけ展示しています。

ピアノもまた演奏されるのを待っています。