またまたヨタ話

日付が変わって今日は月曜日。あいかわらず夜中はデザインの仕事をしているカフェ豆店主でございます。少なくとも今年いっぱいはこんな生活のようです。ですからたまにこうしてヨタ話を書いて気分転換をしております。こんなことする暇があるなら寝りゃいいじゃんと思われます。…確かに…(笑)。
・何かと話題をふりまいてくれる阿久根市長。きのうとうとうリコール成立したみたいですね。もうぜんぜんわけわかんないお騒がせなまちですね。で、見ればこの市長、私と同じ歳ということにさきほど気づきました。なんだかなあ…。
・毎年このころになると街なかやラジオからはジョン・レノンの曲が流れます。もうすぐ彼の命日だし、彼が亡くなってからもう30年。あのとき私は二十歳かそこら。大学のデザインの講義室で誰かが「ジョンレノンが死んだんだって」と。すぐには信じられなかったことを今でもよく憶えています。30年。あと30年経っても世界中で聴かれているでしょうね。そのころ私はこの世にいるのかどうか…。
・よくジョン派かポール派かなんて話が出て、私はビートルズのめちゃめちゃファンだったわけではありませんが、やっぱりジョン派かなとは思います。もちろんポールのハッとするようなメロディも凄いですけどね。
・年代的にブリティッシュ・ロックを聴くようになった頃にビートルズは解散しました。だからリアルタイムには聴いてないですね。その後もジョンレノンをすすんで聴くようなことはなかったです。中学・高校はプログレでしたから(笑)。
・どちらかというと大学生になってからジャズを聴く一方で逆にビートルズストーンズを聴くようになりましたね。それから大学を卒業するころにいわゆるオルタネイテッドとか言われるようなちょっとゆがんだロックを聴くようになりました(笑)。パンクやスカなんかは私よりちょっと下の世代ですね。セックス・ピストルズジョン・ライドンにはついていけないなって(笑)。でもジョン・フォックスとかクラフトワークとかニュー・オーダーとかのテクノ系。今考えたら、よくまああんなアナログな機材でピコピコつくってたなあと(笑)。今ではマックにおまけでついている音楽編集ソフトのほうがすごいでしょうね。アポロが月に行った時につかってたNASAのコンピュータも、今の家庭用パソコンより貧弱だったそうで、極端な話、電卓なみだったそうな。それを思えばiPadなんてSFの世界の機械でしょうね。
・年末の寒さと慌ただしさは好きです。なんかじっとしておれないソワソワ感。
・このあいだレンタルDVDで映画を3本たてつづけに見ました。
 

ザ・ウォーカー [DVD]

ザ・ウォーカー [DVD]

 デンゼル・ワシントンは好きでしたが、この映画はつまらなかったです。言ってみれば近未来版マカロニウェスタンって感じ。なんかもともとたいした脚本ではないので、デンゼル・ワシントンの存在感でかろうじてもってるという感じでした。
 
ハート・ロッカー [DVD]

ハート・ロッカー [DVD]

 最初から最後までものすごい緊張感。見事なテーマ性と演出。なるほどアバターにくらべたらグンを抜いていてアカデミー賞総なめというのもわかる。でもアメリカという国の視点を越えきれない限界のようなものを感じました。「それがどうした」といわれればそうなんですけど。
 
パリより愛をこめて Blu-ray & DVDセット(初回限定生産)

パリより愛をこめて Blu-ray & DVDセット(初回限定生産)

 いやあ、意外に今回いちばん楽しめた映画でした。文句なくドッカン、バッコン、バキッバキッ、ズッドーン!の痛快アクションムービー。べつに見たあとに何も残りませんが、「あ〜おもしおかった〜」と思えます。リュック・ベッソンって何がやりたいんでしょうね(笑)。サタデー・ナイト・フィーバーから30数年、主役のジョン・トラボルタもすっかり変わってしまいました。
 
・忙しい忙しいと言いながら、ビデオ見たり、本読んだり、ときには飲みにも行くのは、やっぱり仕事だけやってても仕事にならないということもあります。デザインの仕事って、山にこもってちゃできなくて、いろいろ見聞きしなきゃ仕事の視点がズレてしまったりするんです。いや、その山にこもって世間さまとズレることがいけないというのではなくて、仕事上さしつかえることが出てくるってことです。ほんとは山にこもれるものならこもりたいです(笑)。で、このあいだから寸暇を惜しんで、ちょっとづつ読み続けているミンデルの本。ちょっと前にも紹介しましたこの本。私は5ページも読めば眠ってしまうんですが、それでも凄い本です。
身体症状に「宇宙の声」を聴く―癒しのプロセスワーク

身体症状に「宇宙の声」を聴く―癒しのプロセスワーク

う〜ん、いきなり読んでもチンプンカンプンかもしれません。ある程度心理学とかトランス・パーソナルとか宗教とか哲学とか物理学に興味がなければつらいかもしれません。この手の本の紹介文に「癒し」とか「自分探し」とか出てきますが、これは本を売ろうとする出版社がわのくだらない宣伝文句であって、アーノルド・ミンデル大先生の本はそんな陳腐なものではありません。今でこそ「スピリチュアル」というのが怪しげなトンデモワードになっていますが、本来の意味での「スピリチュアル」とはこういうことなんだって。本屋さんには「スピリチュアル」というコーナーがありますが、そこに並んでいるのはどう考えても怪しい「見てきたのか?」ってつっこみたくなるようなものばかり。あれって現代人の心のすきま産業ですね…我ながらうまいこと言うなあ(笑)。この本のタイトル『身体症状に「宇宙の声」を聴く―癒しのプロセスワーク』っていうのも、もうちょっと考えて欲しかったですね。たしかに内容的にはそのとおりなんだけど、スピリチュアルのトンデモ本と勘違いされそうで残念。
・昔、まだ私が20代の頃、ジョージ・ルーカス監督の「ハワード・ザ・ダック」というSFコメディ映画がありました。ちょうどインディ・ジョーンズとかバック・トゥ・ザ・フューチャーが流行った頃ですね。スターウォーズはこの後だったような気がします。いやどうかな?とにかく私はこの「ハワード・ザ・ダック」がとっても好きで当時ビデオにダビングして何度も見ていました。今思えば大御所ティム・ロビンスがバカ学生役を好演してましたね。で、それがもう一度見たくてレンタルビデオ屋さんで探すのですが、ない。どんなに探してもない。ないとなるとよけい見たくなるもので(笑)。
・長崎がうかれにうかれた「龍馬伝」もついに放送終了。さあ、どうする長崎って感じの今日この頃(笑)。うかれたっていうより、これでなんとかひと儲けっていう「あやかり商法」炸裂だったこの一年。でももうそろそろこんなみっともないあやかり商法は通用しません。面白かったのが、五島列島のどこかに龍馬の銅像をつくったとかで、その宣伝コピーが「龍馬ぜよ!」………、亀山社中練習船ワイル・ウエフ号が新上五島町の沖合で遭難して命を落とした仲間を弔うために龍馬がやってきたということで、なんとか龍馬ゆかりの地として観光客を呼びたいとのこと。島原は島原で「長崎に最初に足を踏み入れたのが島原だった」というだけで島原をなんとか龍馬ゆかりの地にしたいとして、サムライブルー色の発泡スチロール製巨大龍馬像のおさがりを譲り受けたとのこと。カフェ豆のすぐ近くの眼鏡橋の近くには、墓石屋さんがつくったという龍馬の石像があります。墓石屋さんだけあって、お地蔵さんのような龍馬です(笑)。私が生まれ育った長崎市中通り商店街でも、いつのまにか「長崎龍馬の道」という、高速道路のサービスエリアのお土産屋さんでしか売っていないような安っぽいまんじゅうのような名前がつけられて、それが印刷された真っ赤な垂れ幕を張り巡らしています。こんなふうに何かと龍馬をブームにしちゃったもんだから、ブームが去れば龍馬自体が古くさい時代遅れのイメージになってしまうのに、目先のことだけでうかれてやってしまっては、もう引っ込みがつきません。アザラシのタマちゃん、タマゴッチ、ヨンサマ、一杯のかけそばバナナダイエット食べるラー油と同様に、ここまでブームにしちゃったからには、結局龍馬は使い捨てにされるだけでしょう。坂本龍馬って、龍馬フリークのひとたちが、ひそかに楽しむ程度でよかったんじゃないかと今でも思います。アヘン戦争ジャーディン・マセソン商会、香港上海銀行、ペリー来航、グラバー商会、長州ファイブ、大政奉還明治維新…いつか坂本龍馬が、グラバーが、日本で、長崎でやったことが何だったのかが明るみにでる日が来るでしょう。そしたら日本にとっての明治維新というのが何だったかというのがわかるでしょう。それはウォーターゲート事件ケネディ暗殺よりも根深く、おそらく9.11を誰が何のためにやったのかが明るみに出るのと同じようなものでしょうね。そしたら長崎の観光名所グラバー園もそうとう意味が違ってくるし、「龍馬ぜよ!」なんて言ってられないでしょう(笑)。
・暇じゃない、暇じゃないんです。ほんとです。説得力ないですね(笑)。
・ヨタ話ついでにもう少し。近頃はデザインもユニバーサルデザインというのが広まってきて、なんだかなんでもかんでもユニバーサルが正しい!みたいな勢いです。ちなみにユニバーサルデザインというのは、
1 公平な利益
2 利用における柔軟性
3 単純で直感的な利用
4 認知できる情報
5 失敗に対する寛大さ
6 少ない身体的な努力
7 接近や利用のためのサイズと空間
という原則を守ってデザインされるいろんなもののことです。たとえば誰もが使いやすいハサミとか、空き缶のプルリングとか、挙げ出したらきりがないくらい。政府もユニバーサルデザインの普及に力を入れていて、お役所の印刷物にもユニバーサルデザインフォントを使わないといけないような雰囲気になってきました。たとえば昔は身体の不自由な人たちのためのことを考えたバリアフリーという考え方でしたが、近頃は健常者と障害者という区別なく誰もが平等に使いやすいという考え方がこのユニバーサルデザインといわれるものです。出ましたね、人権とか、差別とか、平等とか、世界平和とか…そのうち「人類皆兄弟」とか言い出すんじゃないか(笑)。この優等生デザインが、書体…いまごろはフォントと言った方が一般的なんですね…このフォントにもユニバーサルデザインフォントが出てまして、これは従来の日本語書体よりも読みやすく間違えにくくデザインされたフォントのことだそうです。で、見てみればたしかに読みやすくなってる。まるっこくてシンプルになってて、漢字とかなのバランスも違和感がない。でもですね、な〜んか日本語から離れてるんじゃないかなと思うのは私だけでしょうか。こんなことでいいのかな〜と思うのは、新しいものについてけないオヤジのぼやきでしょうか。みんな同じ、どこを切っても金太郎のようなことが、いかにも優等生面して大手を振る社会は、どうかすると危険なんじゃないかと思うのは、新しいフォントを買うお金がない貧乏デザイナーのいいわけでしょうか(笑)。新しいフォントを使うには、今のMacを買い替えないといけないし、ソフトだって買わないといけない。そのうえフォントも全書体買うとなったら、大きな会社ならまだしも、小さな個人経営のデザイン事務所ではたいへんな出費なんです。ま、それはともかく、こうやってみんないっしょに同じものを使って同じことをやることが平等で民主主義で平和で正しいことなんでしょうか。いったいどこの誰がそんなことを決めてるんでしょう。運動会で、みんな手をつないでいっしょにゴールするような、どこか偽善めいて、現実の熾烈な競争社会に目隠しをさせて、何の忍耐力もない子どもを育てているようで、な〜んかいやだなって。先に挙げたユニバーサルデザインの七つの基本理念の「はいそうです、そのとおりです、あんたがいちばん正しいです」っていう感じが、なんかしゃくにさわる(笑)。中学生の時に掃除をさぼってたら、真面目な学級委員の女子に「ちゃんと掃除をしなさいよ、吉田君」と言われたような感じ(笑)。中学生にとってクラスは社会の縮図。クラスメイトそれぞれに、いろんな役回りがあってこそ、それぞれが引き立ってくるもの。みんながみんな毎日まじめに掃除をやりとげるクラスって、いつか破綻するんじゃないんでしょうか。…うう、掃除をさぼる言い訳にしか聞こえない(汗)。ま、例えが悪かったですね(笑)。
さ、ヨタ話はいい加減にして、仕事の続きをしなければ。
・もうここまで書いたんで、これもついでに